過去の写真との思わぬ邂逅と、日記に重ね塗りするような行為について。

iPhoneを使うようになって久しいけれども、多分最近のOSからなのかな、気付かずに使っている機能が少なくない。
先日、アルバムを覗いていると娘が「わたしも見たい!」と画面を触った弾みに、アルバム画面が物凄い勢いでスクロール、保存されている最古の写真データまで一瞬で移動した。
僕の様子を見ていけない事をしたと慌てた娘が「ごめん」と謝ってしまう程、僕は驚いた様子だったのだろう。
「いやいや、いいんだよ別に怒ってないよびっくりしただけだよ」だなんて言いながら今何が起こったのか精査する。多分、娘は画面の上の方を触ったのだ。再度、丁度充電のパーセンテージや電波状況等を示す表示の辺りを触ってみるとおお、先程と同じようにデータを一気に遡る事が出来るではないか。娘から偶然教えて貰ったこの機能で、ちょっと懐かしい写真を眺めたりしていると日記に貼りつけてこそいないものの、良い記念になりそうな写真データが幾つか出てきた。

僕はこの日記を僕の人生そのものにしたい。
というわけで折を見て過去の日記にも写真を貼り付けたり追記したりしていこうと思った次第なのだが、今日は2015年8月23日の日記に写真を2枚貼った。
日記を書いた当時は何の自意識か、吉良吉田旅行に行った事は書いてあるものの『誰と』行ったか書いていない。誰意識だよ。
というわけで今は堂々と書いてしまえるけれども当時まだ交際相手だった妻と行ったので、記念写真を添付。
老後に自分で読み返した時に「おお、若かったなあ」と思えれば楽しい気がするし父と母のデート写真を見た時の僕が「父と母も1組のカップルだったんだなあ」と妙に感慨深くなってしまったのと同じように、娘達がこの日記を読んで何か思うところがあればそれもまた一興。
ちなみに交際相手に執着する僕は、結構な頻度で妻の写真を撮っている。ゲヘヘヘヘ。


昔は「思い出話ばかりするような人間になりたかぁねェもんだな」と思っていたけど、いざ積み重ねたものが多くなると思い出っていうのも悪くないもんだなと思えるようになった。
そもそも日記だなんて現在進行形で思い出話を積み重ねていくようなものだ。