何があったってわけでもないんだけど、年齢を重ねるにつれて許せないものが増えてきたなあと思う。
物事の経験値が人の見識を広げ、判断力や発想を養って思索を助けるのと同時に、その人自身の素養によっては経験値が見識を狭め、判断力や発想以前にルーチン的な思考しか出来なくする場合もあるのだな、と考えた。
そして何かを盲信する事に注ぐ力は魅力的でも、盲信した結果というのは得てして一時は自分自身を幸せにしても長期的に考えれば可能性への断絶へと繋がるのだろうな、とも。
ここ最近、舟橋はライブを2本やった。いずれもベースギターを弾いた。
1日目はドカンと、しかしきっちりと。2日目は手元の表現力に今まで以上に神経を注いで。
そんな二日間の話。いずれも新栄CLUB ROCK’N’ROLLでの演奏だ。
まずは9日。
昼頃に起きだしてマラソンによって通行止めになり、分断された今池-新栄間を歩道橋を駆使してパイプカツトマミヰズ(6人編成)の練習のためスタジオへ向かう。
パイプカツトマミヰズは社会人、社会人以上に働くパチンコ屋店員をメンバーに擁するので練習は休日しか出来ないしない。故にライブが土日だと当日練習っていうのもあるわけでこの日も入時間の前に一時間ばかし体を慣らす意味で練習に入った。
…メンバー全員揃わず!やっぱり通行止めって怖いんだね!
リハーサル後は大須へ手巻き煙草を仕入れに自転車で出掛ける。僕以外のメンバーはサイゼリ屋で飲んでいたようで、あそこはコストパフォーマンスが良いもんだから皆ワインをガバガバ飲んで泥酔して潰れて、復活して戻ってきたメンバーは当初二日酔い状態だった。
頭が痛い、と喚くメンバーと共にステージに上がる。かつての僕なら抜けているとは言え演奏前にアルコールを摂取する事自体に難色を示しただろうけれども、今は「そうであっても良い演奏が出来るなら別に」って感じの考え方である。どっちにしたって良い演奏をしてくれればそれで良い。極論であるという自覚を踏まえて言えば、人格破綻者だろうが博愛主義者だろうがチケット代とそれに対する情熱以上の衝撃を提供出来ればどんな状態であってもステージに上がる勝算はあるはずだ。
で、この日は結果的に単純な演奏の精度の話であれば疑問符が浮かばないわけでもないけれど、観る人の網膜に焼き付くようなライブをしたと思う。
僕は専ら音楽を構築する役割で検討出来た。駒田君と僕は最近わりかし、しっかり曲を提示する事に興味が向いている。
そして今日。
以前レコーディングに参加したMoNoSiRoというバンドのサポートでベースギターを弾いた。
2.5拍子+5拍子がイントロでAメロは2.5拍子+4拍子で、というようにとんでもない曲を演奏したりするわけだけれども、モチベーション的に手元で色々とやるという課題を自分に課そう、となっていて、実際足元にはオクターヴファズだけを置いて(いつも、これはもう100%といって良いだろう、繋いでるサンズアンプは勿論繋いだ)ピック弾き、指弾き、どこをピッキングするかどのようにピッキングするか、はたまた親指で弾いたりボリューム奏法に挑戦したり、と自分が普段の演奏ではあまり要求されない事に前向きに取り組む事が出来た。
パイプカツトマミヰズってそれこそ1か10か、みたいな演奏をした方がわかりやすいとは思うのだが、MoNoSiRoでの演奏はその間に3も5も7もあって、どちらが良いとかではなくて新鮮で楽しい。弾き応えがある。
この弾き応えっていうのが大事で、そこでテンションがワーッと上がってそれが演奏自体にもモチベーションや集中力の向上をもたらしているんじゃないかと考えるのだけれども、いやはや、変なミスもなく個人的には内々の狙い所もクリアー出来てある種の達成感を感じる演奏をする事が出来た。
MNoSiRoのサポートは今後も続けていくのでお時間合う方は是非。
ライブ後にご飯食べてビールを少し嗜んで、自宅へ楽器を置きに帰りここ最近ずっと切りたかった髪の毛を切って貰いに友人宅へ向かおうと夜の帳の中を自転車で疾走中、道端で抱き合う育ちの良さそうな女性と感じの良い男性、あれはそうだな、20代半ばくらいかな、そんな二人組が結構しっかりと抱き合っていた。
そのまま照れ笑いを浮かべてじゃれあいながら道を歩いていく二人を遠巻きに眺めながら、そうか、もうすぐ春が来るなと再認識したってわけ。
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