「それでも音楽はすばらしい」が終わってお客さん、出演者さえも全員いなくなった後に僕と「それでも人生はすばらしい」に携わったチームで新栄CLUB ROCK’N’ROLLを劇場にする作業を行った。
事前に採寸したものの、それでも実際に現場に持ち込んでみないとわからない、との判断からベニヤや角材を持ち込んで、フロアでの日曜大工。ステージの上にアパートの一室を再現するためにフローリングから壁から全部設置し終えたのは日付が変わった頃だったろうか。ライブも遊びに来てくれていたチームメンバー、そして最後まで見守ってくれていた新栄CLUB ROCK’N’ROLLの本多さんに井藤さん、有難うございました。
その後、アパートの一室と化したステージに腰掛けてそのままなんとなく、皆が車座になったまま本多さんとお話した。実際のところ、本多さんが僕に演劇公演っていうものを投げかけてから、実現するまで3年越しのプロジェクトだった。随分とお待たせしてしまったし、本当に多くの人を振り回したと思っている。けれどもこの日に至るまでただの一度も文句も、苦情も、弱音も口にしなかったチームメンバーには感謝しかない。
杏花村に寄って、THEピンクトカレフ、ザ・フロイト、パイプカツトマミヰズの打ち上げに中途から混ざる。やっぱり主催者としては初日の出演者とも乾杯したかったので。
で、翌朝も早いのはわかっていたので(僕にしては)早い時間に撤収。自宅にて残った作業を済ませ、就寝。
翌朝、起床して集合場所へ向かう途中、ちょっとした交通事故に遭った。
マウンテンバイクで走っているところ、路地から車が突然出てきた。減速していた中、急ブレーキをかけたとは言えども、本当にすれすれで出てきたので間に合わず車の横っつらに思いっきり突っ込んだ。顔面をボンネットにぶつけ、自転車から転げ落ちる。
「あーやっちまったなあ、面倒臭いなあ」というのが咄嗟に頭に浮かんだ。運転手さん、大変誠実な方で終始こちらの心配をして下さった(後日、二人で再び会い今後の話をしっかりし、今回の一件についてはキチンと決着がついております。一応、念のため記載)。
チームメンバーに連絡を入れ、再び集合場所へ、ゆっくりと周りを注意深く見ながら向かう。
前日準備に今回の公演に対する自分の胸中をメンバーに話して、そして紛れもなく能動的に自分のヴィジョンを人と共有して一つのものにして完成へと向かう、ともすれば人生で初めてと言ってもいいかもしれない積極的な自己表現だってのにその朝に、よりにもよって交通事故、だと?
この段階で僕は、今夜の演劇公演は成功する、と確信した。
自分が主導になった演劇公演っていうお話を頂いた際に思い描いた脚本は、最終的に「自分っていう人間を100パーセントステージの上で曝け出す」というテーマを伴ったものとなった。それは露悪行為になるかもしれないし、人前に立つ人間ならば誰もが抱かれ得る「パブリックイメージ」の醜悪な破壊行為に繋がるかもしれないけれども、でもそれがやりたかった。自分を完全に晒してそれを肯定して欲しい、だなんて思惑は微塵もない。むしろ自分という人間を突き付けてそれを否定する人間が現れ得るかもしれない、と自分の人間性を客観視して、ワクワクしていた。否定も肯定もそこにはいらない。ただただ自分という人間を一度きっちりと、自分自身が能動的になってステージの上から投げつける行為への必要性を感じていた。あのライブハウスでバンドマンとして多くの時間を重ねた自分が、その中で元からあった素養を育んでき、その人間性をより強固なものとしてきたのなら20周年記念と銘打って二日間頂いたこの中で初日はバンドマンとしての現在形、二日目は人間としての自分の現在形を打ち出すのが何より新栄CLUB ROCK’N’ROLL20周年への自分なりの向き合い方だ、とも思った。
演劇公演、前半は29歳のバンドマンが一人暮らしという新生活初夜に遭遇するちょっと不思議な体験をコメディタッチで描いた。
彼は多くのバンドにベーシストとして参加していて、フリーアルバイターとして日銭を稼いでいる。実家の建て直しに際して一念発起して一人暮らしを始め、新生活への期待に胸を膨らませている。そこへ大学時代からの交際相手がやって来て別れ話を切り出す。大学卒業後、就職して日々を重ねていた彼女は結婚出来ない、このままでは家庭を持てない彼との交際に先が見えなくなったのだという。引きとめようとする彼。
そこへ幽霊が現れる。幽霊はどうやらかつてこの部屋で自殺したサラリーマンらしい。彼は単身赴任でこの部屋へとやって来たが、彼の単身赴任中に彼の妻はよりにもよって彼の上司と浮気をしたらしく、絶望した彼は自らの人生に終止符を打ったのだという。そして奇遇にも彼の妻と主人公の交際相手である彼女は外見が酷似している。
様々な除霊方法を試したものの、そのどれもが失敗した主人公は彼女に幽霊の妻のふりをさせて懺悔させる方法を思いつく。彼女にその案を伝え、いざ実践。
しかし彼女は自分の言葉で話し出す。それは、男心と女心の差異と恋愛に於ける誠実さとは、といった内容で誠実さの伴った彼女の言葉に心打たれた幽霊は成仏する。
部屋には再び二人きり。二人は、別れるのではなくこれからどうしていけば二人の関係を続けていけるのか話し合おう、と決意する。
これが僕が脚本を書いた前半部分。ここでは徹底的に自分の嫌いな、共感出来ない人間達を描いた。
主人公は何となくバンド活動を続け、そして彼女にいざ現実を突き付けられても自分のどこを問題視して彼女が別れを突き付けたのかを理解していない。理解しようとしない。楽な方、楽な方へと、自分の居心地が良い方へと流れようとしている。
そんな彼の交際相手である彼女も、今まで何度も切り出すチャンスはあったろうに今更になって一方的に別れを切り出している。そこまではまだ良いとしても、幽霊が成仏するきっかけとなった自分の心情吐露に「酔って」相応の覚悟をもって話をしに来た自分の別れ話をも易々と撤回してしまう。彼女もまた自分で自分の人生に決着をつける事が出来ない人間。
今回の公演について友人が詳細な粗筋と思った事を書いてくれていた。
僕の粗筋なんかよりもわかりやすいと思うのでリンクを貼っておく。
「好奇心は猫をも拐す」
後半は、そんな二人に対して作り手として、自分自身として決着をつけた。
作中人物、として眼前に存在し続ける彼らを本当に殴り、蹴り、恫喝して服を脱がせ心を殺してプライドもへったくれも身も心も蹂躙して全てをズタボロにしながら、ああ、確かに僕は今自分が言いたい事を、自分自身の言葉で表現出来ていると思った。
当初は脚本がしっかりあって、僕は隣人として登場する予定だったのだが、2012年12月後半、ふと一線引いて脚本を読み返している時に思ってしまったのだ。「これは俺、演技するぞ」と。
そりゃあそうだろう、そこには僕が僕として言葉を発する「台詞」があり、ここでこうするという「脚本」があったのだから。自分の人間性を生々しく表現するにはこれではいけない。そう思って前半から引き続き後半にも出演する二人に「脚本の後半部分を棄却したい」と相談した。演劇人ではまずしないでしょうが、と前置きをした上で二人とも快諾。こうして僕は本当に、100%自分自身として舞台に立つ事が出来た。
バンドマンが行う演劇公演、すなわち、バンドマンがバンドマンとして、演技をしない公演。
その純度を保つための判断の結果、30分程を予定していた後半パートは1時間に膨れ上がり、そしてその結末は(厳密に今回の公演のオチは決まっていたものの)僕の想像を上回るものとなった。後半を即興芝居に変更、今回の演劇公演についての考えを3人で共有する事で結果的に前半パートの出演者、演奏チーム、そしてスタッフチーム全員で作り上げた作品にする事が出来たのではないか、と思う。後半、舞台の上で特に気張る事もなく振る舞いながら、ああ、自分の作品が良い意味で自分の手を離れたのだな、と感じた。あの空気感は、作り手がこれ言うのもなんだけどさ、そういう作り方じゃなきゃ出来ないよ。
人生はすばらしい、という言葉についてご覧になられた方がそれぞれ解釈して下さって、ご自身の身に置き換えて考えて下さっているのをインターネット上で目にしました。ご覧になられた方々の心に何か少しでも影響を与えられたのなら、ものを作る人間としてこんなに嬉しい事はありません。
様々な覚悟をしてアウトプットした表現が人の心に何がしかの形で、刺さる。
思えば、人生ではじめての感覚かもしれない。今まで僕は人の表現の中にいて自分の要素を積極的に打ち出していく側だったから。それは今後も変わらないしそれはそれで面白いし十二分に突き付け続ける価値がある事なのだけれども。それでも今回の演劇公演は今後人前で何かをやっていく人間として、ものを作る人間として余りにも意義があり過ぎた。本当にやって良かったと思っている。
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