2013年のお正月は家で寝倒したり(個人的に思うのだけど元旦より大晦日の方がワクワクする。その余波で寝正月になる、ってのが恒例)、「寒空の下、徘徊しながらなら酔い潰れないのではないか」という仮説を検証、ウイスキー瓶を30分もしないうちに乾した結果、室内に入った瞬間に轟沈する、等と楽しく過ごした。
そしてそして1月4日、ついに僕がここ最近精力を傾けていた二日間が幕を開けた。
新栄CLUB ROCK’N’ROLL 20周年のこの記念すべき時に、その記念すべき歴史と節目に捧ぐ舟橋孝裕presents「20周年はすばらしい」。
バンドマンとして、そして表現者としての根本的には一つの僕という人間に統合出来ると僕は思っているのだけれども、それぞれの特化した形としての表現を2日間にわけて今の僕を形成する多くの要素を育んできた新栄CLUB ROCK’N’ROLLで顕在化する。20周年記念公演、という内容ながら直接的にはライブハウスに向けた感情を形にするものではないのかもしれないけれども、それでもここでやってきた10年間を具体的に一つの結果としてお見せする事が今の僕には一番しっくりくる内容で。それで多くの人を巻き込んで準備してきた。
まずは初日、第一夜「それでも音楽はすばらしい」。
THEピンクトカレフ、ザ・フロイトという強豪2バンドをパイプカツトマミヰズで迎え撃つ、新年早々バンドマンとしての自分を試す事になりかねないような、そんなスリーマンを挙行した。
THEピンクトカレフ、ザ・フロイト、パイプカツトマミヰズ。相応の年月人と繋がりながらバンド活動を続けてきた身として、正直に打ち明ければ頭の片隅には数年前のこの日があった。あの日もいつになるかわからない「また」を約束して僕達は新栄を後にしたはずだったのだけれども、それでもそれが叶う事っていうのは恐らくもう、ないだろう。不完全密室殺人は解散、太平洋不知火楽団は活動休止、ザ・フロイトは存続しているけれどもメンバーの生活圏が遠く離れ、そして家庭を持っているメンバーがほとんどである。実現させるには離散したバンドメンバーを集めなければならないし、活動を再開せなばならないし、4人の事情を考慮して奮起せねばならない。限りなく可能性が低い以上最低限の誠実さとして「もうない」と表現したのだけれども、その3バンドに参加、拳を重ねてきたバンド所属のメンバーの現在形、っていう発想が全くなかったと言えば嘘になるだろう。僕も、大内君(THEピンクトカレフ/太平洋不知火楽団)も、専ら連絡をとってくれた小森君(ザ・フロイト)もそれぞれの中での意義は違えど、それはきっと心のどこかにあったはずだ。
それだけだったなら、この日の企画は主催しなかった。そんな同窓会めいた場所での演奏のぶつけ合いは「決着をつける」には全く相応しくないし、観に来る人にも各バンドにも、何より「あの夜」にも失礼極まりない、と考えている。
この日、この3バンドで主催するに至った理由っていうのは色々あるけれども、根幹にあるのはやはり「決闘」だったのだ。僕がパイプカツトマミヰズに対して後から入ったメンバーであろうとも己のクリエイティビティを投入して望んでいるのは皆様ご存知だろうし、THEピンクトカレフはそれこそ知るきっかけこそ「宿敵がやっているバンド」だったけれどもあの音楽を体感して、そして音楽をぶつけあってメンバーと話をしていくっていう時間を重ねる内に僕の中ではもうあそこはバンドとしてやりあいたいバンドなのだよ。大内君とも決着はつけたいけれどもさ、今回は自分の中できちんとTHEピンクトカレフとしてお越し頂くっていうのは意識は、あった。
ザ・フロイト。このバンドをこういう夜に呼ばないっていうのは僕からすれば在り得ない事で、今までもこれからもこの人達っていうのは僕にとって名古屋での、身近な位置での強敵であり続けるんだろうなって思う。例えライブが年に一回になっても、なかなかメンバー個々人と会う事が敵わなくっても、こういう時に出てきて貰って演奏会をして貰う必要が僕にはあった。手前勝手な感情だけれども、でもきっと多くの人が彼ら4人を待っているとも思っていた。
この日は新栄CLUB ROCK’N’ROLL 2013年営業開始日。
そんな日にこの企画を主催出来て本当に嬉しく思った。本当の意味での鳴り初め、はカウントダウンパーティーで行われたsoulkidsだったのだけれども、それでも僕はこの日の高揚感と営業開始日、というワードにあてられて「俺達が最初に壁を震わすんだ」と意気高揚していた。そういう辺り、自分は都合が良くてそしてこういう部分が僕が常に幸せである事の根拠だとも思う。
パイプカツトマミヰズの演奏は新年一発目にしていきなり肉体を酷使するものとなった。スリーマン、という事でメンバーに無理言って長いセットリストを組んで貰った上に(それでも僕達の場合、一曲が短いから知れてるのだけれど)ライブの興奮も相まって凄く汗をかいた。新年早々幸先が良い。
そしてライブ終盤、ボランティアメンバー各務君が振りかざしていたギターを手が滑って取り落し、それが僕の頭の上に降ってくるという「お年玉」もあった。痛かったけれども、面白かったので殴りかかった。うん、今年もこのバンドは良い汗をかき、旨いものを食えそうだ。
THEピンクトカレフって「大森靖子&THEピンクトカレフ」から「THEピンクトカレフ」になったのって僕の中での印象として凄く自然で。クリエイティビティ溢れる「色彩感」が強いバンドメンバーを「&以降」の存在にしておくのって大森さんも我慢ならなかったんじゃないかなって勝手に思っているのだけど、つまりそれだけ各メンバーが有機的に音楽に作用している。大森さんの表現って凄く生物的で人の心を雑巾みたいに絞る瞬間さえある。コモリ君(壊れかけのテープレコーダーズ)って僕の中では新しい形のギターヒーローだし(BIG MUFFを愛している、と出音で理解出来る数少ない人だ)、大内君は進化して深化していた。ウシさんのドラムはアンサンブルをアンサンブルとして、そして各人の演奏を引き立たせる事によって御自身のドラムも際立っている。ワンマンバンドじゃない、生物としてバンドがより強靭になっていた。
ザ・フロイト。もう単純にシンプルにファンとして、長年観れていなかった人間として久しぶりに4人がステージに立っている姿を観て胸にくるものがあった。ライブ開始時の念仏が始まった瞬間に絶叫、その後は開く涙腺を押しとどめながらきっちり最初から最後まで楽しませて頂きました。
何が凄いって、劣化どころかより強力になっていたところ。久しぶりのライブで丁寧に、って意識があったのかなかったのかはわからないけどアンサンブルって観点で言えば今まで観てきた中では一番ガッチリ、強力にアンサンブルしていた。あれは格好良かったわ。本当に格好良かった。
そして遂に封印を解かれた「トチギのダンス」。やっぱり皆、あれ観たかったんだね。終演後に大内君も嬉しそうに「ダンスやったね!」と言っていた。
総括して、新年早々大いに楽しんだ。良いスリーマンだった、と思う。芯のしっかりある、それでいて各々自らの音楽をある人間は精神性と、ある人間は矜持と共に打ち鳴らしたような、そんな夜。
イベント名は結果的にこの夜を先取りした形となった。
即ち、人生長いし色々あるけど
「それでも音楽はすばらしい」。
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