「オッケーでーす!」

友達と夜中の2時過ぎから鍋をした。醤油とんこつ鍋、である。

最初は醤油とんこつ然としているのだけど、色々煮込むうちに出汁と水分がどんどん出てきて醤油とんこつの濃度が薄くなる。これが悪いってわけじゃあ決してなくて、旨い。

〆には当然ラーメンを。生麺じゃなくてもインスタントラーメンを軽く茹でたもので十二分に旨い。

朝方帰宅して、ボーッとしながら考える。最近は本当に充実していて、実際の活動も精神活動も健全かつ能動的だ。有難い事に退屈するような事はなく、毎日何かに気をかけていられる。気をかけるっていうのはこの場合負担ではなくて、突き進むべき目標って意味ね。これがあるかないかで随分と違う。

何もないと、例えばライブの間が空いてしまうと体がなまるし、心も腐る。けれども何か心を砕く事、良い事でも極端な話悪い事でもいい、何かあれば僕は能動的に活動する事が出来る。家に引き籠っていようと、頭の中では意欲的に色々と動かす事が出来る。「毎日、その日その日を全力で」「面白い事は起こすもの」というのは僕のポリシーだけど、それでも何もやる気にならない日ってのもある。休む事さえそういう日はする気にならない。

バンド演奏に於いて、いや違うな、バンド活動に於いて実はこういう日常の部分も大事なのではないか、と思っている。演奏を行うのは日常生活を営んでいる自分なわけだし、生活での「実感」はバンドメンバーと酒を飲んで激論するより時としてスムーズに自分に何かを理解させる。実感は理屈よりわかりやすい、という事だ。

嫌な目にあっても良い。心が折れそうになっても良い。地べたを這いつくような真似をしてでも、それさえも演奏に反映される。最高に面白い。こうなってくると何が何でも、須く楽しくなってしまって困る。

「悩んだり迷ったりするの?」とか「毎日本当に楽しそうだよね」と言われるけれども、本当にその通り。

人生は、強烈な自己顕示欲とそれを満たそうとする行動力、時と場合を選んだ感情移入と強烈な他者への興味、そして勢いから起因する感情論を勢いで駆逐する理論武装、「ひょっとしたら正論なんじゃないのか」と自分でさえ欺きかねない屁理屈があれば、相当楽しく過ごす事が出来る。

そういえばやっとワンマンライブの時の不完全密室殺人の演奏記録を全部観たんだけど(不完全~だけ観れなかった。何か緊張して)、山田君に心底戦慄した。登場の段階から泥酔しているし、演奏も歌もぐっちゃんぐちゃんなんだけど恐ろしく純度が高く、そして歌い出す直前に鳴ってないギターを確認するかのように鳴らし、マイクに向かって「オッケーでーす」。一同爆笑。一体何がオッケーだったのか、そして誰に向けての言葉なのか。

今度訊いてみようっと。

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