年齢を重ねたらきっと悔しい思いなんてする事は減るんだろうなと、そんな甘い幻想を抱いていた。
雑誌やテレビやwebインタビューで見たあの人やあの人やあの人のように、一つの事をやり続けてきた人間だからこその苦悩こそはあれども根本的に自分の作品に対する葛藤や「完全に作ってあげられなくてごめんよ」みたいな思いを抱く事なんてなくなるんだと、そう思っていた。
勘違いだった。
幾つになったって、作った物に対してふと冷静になって「これはこれで良いのだろうか」と思う事はある。何より心にグサグサッとくるのは曲だったり作品だったりは問題ないのに自分自身の在り方や向き合い方やその日のバイオリズムが悪くて真価を発揮出来ずその結果、絶好調であれば瑣末な問題でしかなかった作品のほんのちょっとした綻びが大きな大きな穴になって顕在化する事である。
数日もすれば清々しい思いと共に「あの苦渋は舐める必要があった!」と思えるものの(根っからのポジティヴであるからして)、その時その場所で「やっちまった…」となる時は決してそんな風には思えずただただ悔しい、強烈に悔しくてなんなら悲しいだけである。
嗚呼、一つの事だけやってきたらこうもならなかったのかもしれないけれど、僕はあれもこれも面白そうな事はやりたいし自分が自分であり続ける事だけを続けようと思ってしまっているからなぁ!
さて、話を戻すと最近いつそんな思いをしたかと言うとつい先日、4月28日の事である。
場所は四日市ドレミファといろは、どこからか僕がそんな作品を作ったと耳にしたゴウさん(ドレミファといろは店長)から「うちでもサウナやって!」と連絡を貰ってメンバーを再集結、たった一度の上演の思って臨んだあの日以来の『俺の温度、軸との距離』再演となった夜の事であった。
作品が進んでいくのに併せてパフォーマンス(僕の場合は演奏)しながらどこかで違和感というか「ああ、ここ、直したい!」と思いながら演奏していたのであった。
つまりは作品の粗が目立って感じたという事で、しかし現場ではどうにかするしかなくその時その時で最善とは何か、とアティチュードから探りながらの演奏となったのであるが、長期的なスパンで見ればこれは進化していて感じ方が変わったのだなあとも言えるけれど、いやいやでもそんな作品として受け取られてしまう作品に申し訳ない。その時最善を尽くしているとは言えどもこの作品の面白さを伝えられないであろう(120パーセント理解して欲しい、というのはエゴだろうか?)お客様にも申し訳ない。
それでも好評は好評で滅多に僕の事を褒めない同業者諸兄も「今回の良いね」と楽しんだ旨を伝えてくれたりはしたのだが、いやいや違うんだよ、もっと面白く出来るんだよだなんて言えるわけもなく。
尚更悔しい。こんな事をここに記録として残す事が美しくない事であるという自覚くらいはあるのだが、それでもやっぱり無駄にしないためにはやはり記録にしておく他、ないのだろう。
各々が課題を感じていた、とは終演後に判明したけれども、それでも共作者達は素晴らしいパフォーマンスを披露してくれたのであった。感謝感激。
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