あるギタリスト(以下G)とあるベーシスト(以下B)の会話
B「(略)では楽曲に対してどう向かっているか、という話に集約されるのだよそれは」
G「ふむ、というと?」
B「僕は例えばAメロがあってBメロがあってサビ、という構成の楽曲があったとして、Aメロは熱量抑え目、Bメロはメロウに、サビでガツンと!という骨組み、『構図』が決められたらその『構図』に則って楽曲、ベースラインを完成形に近付ける事を潔しとできる」
G「ふむ」
B「だから僕は曲を『構図』として考える。構成表が存在する場合は尚更そうだ。それに近づける事に表現欲求を感じる。だが恐らく君はそうではないだろう?」
G「うん、そういうの絶対無理だわ。弾いてて自然に、というか感情移入して出てきたものじゃないと良しとできないというか、そういうところはあるよね。楽曲が動いていくその瞬間にしかわからないというか、一緒に動いていかないと腑に落ちない。つまり『印象』でギターを弾いているのだろうね」
B「成程、『構図派』と『印象派』にわかれるわけだね。例えば世の中の作曲家、これは多分に職業作曲家的なニュアンスが多い場合だけども、彼らはいわゆる“ヒット曲”とか“タイアップ”曲を作る時は『構図派』的な発想をしているのではないかと今ふと思った」
G「ああ、うん、あ、でもどうかなあ」
B「どちらかに完全に振り切る事はないのだろうけれどね」
G「うん。割合的に占める部分、というか入り方として根っこの部分かもわからんね」B「何にせよこの違いは滅茶苦茶に面白いぜ」
G「確かにねえ。否定的な意味ではなくてむしろ肯定的な意味でこの違いというのは面白い」
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