『殿』

暫時の間ではあるのだが、スタジオ練習等の予定が入っておらずここ最近は日々をゆっくりと過ごしている。

毎日のようにスタジオに入ったり会議の予定等が入っていると毎日があっという間で、自分の環境に感謝している間に時間が経つ。今の緩やかな時間というのは深い意味はなく、単純に関わっている各バンドともに予定が入っていないだけなのだが、その間に僕がやっている事といえばここ最近のエントリーに書いた事以外ではZIMAというアルコール飲料に物凄い勢いでハマッてしまった事と、相変わらず自転車を乗り回したりしている事と、それと新たに新兵器を注文した事くらいだろう。

昨夜、自室で横になりながら大学時代の友人(かつて何度か登場したかもしれない、坊主頭の風格ある『殿』と呼ばれていた男である)と電話でお互いの近況報告等していた。

殿は東京でインド人に囲まれてコンピューター関連の仕事をしている。殿が最近羨ましいと思ったのは所謂「ギャル夫風」とか「ホスト風」等、そういう「~風」と形容できる人種の事らしい。殿は言う。

「あの人達っていうのは『そうだ、俺はこうなろう』と思い立って服を買ったり髪を切ったり、口調から身だしなみまで全てに注意を払ってそれになりきる事ができる、適応できた人間達なんだよ」

それに対して切り返す僕。

「しかしそこに面白みを感じない。これは嗜好と性格の問題になるかとは思うが、僕は何かを生み出す人間の方が興味深い」

「お前はそうだろうな。でもよ、俺達はもう何にもなれない。染まる事も難しい」

と大学時代物凄いカリスマ性とリーダーシップ、そして人間的魅力で人を惹きつけた彼は言う。あたかも自分が何者でもないかのような口調で。

「でも言ってしまえば僕達だって分類できる。流石にこの年になって可能性『だけ』の人間はいないんじゃないかなあ」

「確かに、俺は言ってしまえば『サラリーマン』だもんな。じゃあお前えは何なんだよ」

「う~ん、夢追い型フリーター、かね」

この後も会話を続け、僕達が出した結論というのは結局『人間誰しも分類しようと思えば何がしかの類型に当てはめる事は可能である。しかしてその類型と実像がそのまま結びつくかといえばそれは必ずしもそうではない』。

堅実なフリーターは存在するはずだし、血気盛んなニートもいるはずである。かといえば怠惰なサラリーマンもいるし下衆な聖職者だってどこかにいるかもしれない。

つまり「~風」というカテゴリーで人間を分類するのは云々かんぬん。

結局話題は逸れに逸れて、恐らく僕は的外れな結論を導き出したのではないだろうか。会話が徐々に逸れていったのは今思い出しても明確だが、彼がそこを突っ込まなかったのは彼の人の良さと、深夜で眠かったというのも少しは関係しているのではないかと疑ってみる次第である。

何にせよ会話の中身、或るいはそこから何を得たかというよりかは『殿とのコミュニケーションにおいてどのような手応えを持ったか』の方が僕には大事だったりするのだ。

結局、彼の芯はブレない。

僕は僕で頑固者のままだ。

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