今夜は随分と年下の若い娘さんに誘われて茶をしばいてきた。
勘違いする事なかれ、全く色っぽい話ではない。むしろその逆、恋愛相談にのって欲しいというわけだ。こんな30過ぎた半ばおじさんで良ければ、と笑いながら快諾して話を聞いてきたのだけれども、こういう具合に年下の人の話を聞いて返答の中に「まだ若い」が良い意味でも悪い意味でもどちらにないにしても、スッと自然に出てきてしまうあたり僕も自分の加齢を意識しているのかもしれない。もしこれを読んでいる方の中で32歳よりも年下の方がいらしたら強くこう主張した。
「貴方が思っているよりも32歳は相当に楽しいぞ」と。
さて今日は若い娘さんの恋愛相談にのったぞという自慢話が書きたかったのではない。その娘さんから教えて貰ったある童話が大変面白かったのでそれについて10年後でも忘れないように記録しておきたい、と思った次第だ。
宮沢賢治さんの『毒もみのすきな署長さん』という童話である。パブリックドメインになっているので本文を載せておく。
宮沢先生、素敵な物語を残して下さって有難うございます。
『毒もみの好きな署長さん』 宮沢賢治
四つのつめたい谷川が、カラコン山の氷河から出て、ごうごう白い泡をはいて、プハラの国にはいるのでした。四つの川はプハラの町で集って一つの大きなしずかな川になりました。その川はふだんは水もすきとおり、淵には雲や樹の影もうつるのでしたが、一ぺん洪水になると、幅十町もある楊の生えた広い河原が、恐しく咆える水で、いっぱいになってしまったのです。けれども水が退きますと、もとのきれいな、白い河原があらわれました。その河原のところどころには、蘆やがまなどの岸に生えた、ほそ長い沼のようなものがありました。
それは昔むかしの川の流れたあとで、洪水のたびにいくらか形も変るのでしたが、すっかり無くなるということもありませんでした。その中には魚がたくさんおりました。殊にどじょうとなまずがたくさんおりました。けれどもプハラのひとたちは、どじょうやなまずは、みんなばかにして食べませんでしたから、それはいよいよ増えました。
なまずのつぎに多いのはやっぱり鯉と鮒でした。それからはやもおりました。ある年などは、そこに恐ろしい大きなちょうざめが、海から遁げて入って来たという、評判などもありました。けれども大人や賢い子供らは、みんな本当にしないで、笑っていました。第一それを云いだしたのは、剃刀を二梃しかもっていない、下手な床屋のリチキで、すこしもあてにならないのでした。けれどもあんまり小さい子供らは、毎日ちょうざめを見ようとして、そこへ出かけて行きました。いくらまじめに眺めていても、そんな巨きなちょうざめは、泳ぎも浮かびもしませんでしたから、しまいには、リチキは大へん軽べつされました。
さてこの国の第一条の
「火薬を使って鳥をとってはなりません、
毒もみをして魚をとってはなりません。」
というその毒もみというのは、何かと云いますと床屋のリチキはこう云う風に教えます。
山椒の皮を春の午の日の暗夜に剥いて土用を二回かけて乾かしうすでよくつく、その目方一貫匁を天気のいい日にもみじの木を焼いてこしらえた木灰七百匁とまぜる、それを袋に入れて水の中へ手でもみ出すことです。
そうすると、魚はみんな毒をのんで、口をあぶあぶやりながら、白い腹を上にして浮びあがるのです。そんなふうにして、水の中で死ぬことは、この国の語ではエップカップと云いました。これはずいぶんいい語です。
とにかくこの毒もみをするものを押さえるということは警察のいちばん大事な仕事でした。
ある夏、この町の警察へ、新らしい署長さんが来ました。
この人は、どこか河獺に似ていました。赤ひげがぴんとはねて、歯はみんな銀の入歯でした。署長さんは立派な金モールのついた、長い赤いマントを着て、毎日ていねいに町をみまわりました。
驢馬が頭を下げてると荷物があんまり重過ぎないかと驢馬追いにたずねましたし家の中で赤ん坊ぼうがあんまり泣いていると疱瘡の呪いを早くしないといけないとお母さんに教えました。
ところがそのころどうも規則の第一条を用いないものができてきました。あの河原のあちこちの大きな水たまりからいっこう魚が釣れなくなって時々は死んで腐くさったものも浮いていました。また春の午の日の夜の間に町の中にたくさんある山椒の木がたびたびつるりと皮を剥かれておりました。けれども署長さんも巡査もそんなことがあるかなあというふうでした。
ところがある朝手習の先生のうちの前の草原で二人の子供がみんなに囲まれて交わる交わる話していました。
「署長さんにうんと叱しかられたぞ」
「署長さんに叱られたかい。」少し大きなこどもがききました。
「叱られたよ。署長さんの居るのを知らないで石をなげたんだよ。するとあの沼の岸に署長さんが誰れか三四人とかくれて毒もみをするものを押えようとしていたんだ。」
「なんと云って叱られた。」
「誰だ。石を投げるものは。おれたちは第一条の犯人を押えようと思って一日ここに居るんだぞ。早く黙って帰れ。って云った。」
「じゃきっと間もなくつかまるねえ。」
ところがそれから半年ばかりたちますとまたこどもらが大さわぎです。
「そいつはもうたしかなんだよ。僕の証拠というのはね、ゆうべお月さまの出るころ、署長さんが黒い衣だけ着て、頭巾をかぶってね、変な人と話してたんだよ。ね、そら、あの鉄砲打うちの小さな変な人ね、そしてね、『おい、こんどはも少しよく、粉にして来なくちゃいかんぞ。』なんて云ってるだろう。それから鉄砲打ちが何か云ったら、『なんだ、柏の木の皮もまぜておいた癖に、一俵二両テールだなんて、あんまり無法なことを云うな。』なんて云ってるだろう。きっと山椒の皮の粉のことだよ。」
するとも一人が叫さけびました。
「あっ、そうだ。あのね、署長さんがね、僕のうちから、灰を二俵買ったよ。僕、持って行ったんだ。ね、そら、山椒の粉へまぜるのだろう。」
「そうだ。そうだ。きっとそうだ。」みんなは手を叩たたいたり、こぶしを握ったりしました。
床屋とこやのリチキは、商売がはやらないで、ひまなもんですから、あとでこの話をきいて、すぐ勘定しました。
毒もみ収支計算
費用の部
一、金 二両 山椒皮 一俵
一、金 三十銭メース 灰 一俵
計 二両三十銭也なり
収入の部
一、金 十三両 鰻 十三斤きん
一、金 十両 その他見積り
計 二十三両也
差引勘定
二十両七十銭 署長利益
あんまりこんな話がさかんになって、とうとう小さな子供らまでが、巡査を見ると、わざと遠くへ遁げて行って、
「毒もみ巡査、
なまずはよこせ。」
なんて、力いっぱいからだまで曲げて叫んだりするもんですから、これではとてもいかんというので、プハラの町長さんも仕方なく、家来を六人連れて警察に行って、署長さんに会いました。
二人が一緒に応接室の椅子にこしかけたとき、署長さんの黄金の眼めは、どこかずうっと遠くの方を見ていました。
「署長さん、ご存じでしょうか、近頃、林野取締法の第一条をやぶるものが大変あるそうですが、どうしたのでしょう。」
「はあ、そんなことがありますかな。」
「どうもあるそうですよ。わたしの家の山椒の皮もはがれましたし、それに魚が、たびたび死んでうかびあがるというではありませんか。」
すると署長さんがなんだか変にわらいました。けれどもそれも気のせいかしらと、町長さんは思いました。
「はあ、そんな評判がありますかな。」
「ありますとも。どうもそしてその、子供らが、あなたのしわざだと云いますが、困ったもんですな。」
署長さんは椅子から飛びあがりました。
「そいつは大へんだ。僕の名誉にも関係します。早速犯人をつかまえます。」
「何かおてがかりがありますか。」
「さあ、そうそう、ありますとも。ちゃんと証拠があがっています。」
「もうおわかりですか。」
「よくわかってます。実は毒もみは私ですがね。」
署長さんは町長さんの前へ顔をつき出してこの顔を見ろというようにしました。
町長さんも愕おどろきました。
「あなた? やっぱりそうでしたか。」
「そうです。」
「そんならもうたしかですね。」
「たしかですとも。」
署長さんは落ち着いて、卓子テーブルの上の鐘を一つカーンと叩たたいて、赤ひげのもじゃもじゃ生えた、第一等の探偵を呼びました。
さて署長さんは縛られて、裁判にかかり死刑ということにきまりました。
いよいよ巨きな曲った刀で、首を落されるとき、署長さんは笑って云いました。
「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」
みんなはすっかり感服しました。
一見するとこの署長さんは極悪人のような印象を受けるけれども、少し冷静に考えると本質的には悪人ではない(結果的にこの国では罪人になってしまうのだが)という事がわかる。宮沢賢治さんはこのような人が好きだったそうだ。
探求と執念の人である。
僕は、署長さんのような人でありたい。数年前に一度は迷って日和ってしまった自分を深く深く悔いているからこそ、これからは今後はかくありたいと強く思うのだ。
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