たまには内に内に潜り込んでエントリーを書くのも悪くはない。

本ブログの昨日のアクセス数が異常な事になっている。
5000を越えるアクセスがあったと訪問者数は告げているのだが。嘘に決まっている。
仮にどこかに晒されていたとしてもそんなに人が訪れるはずがないではないか。
若槻千夏とか「じゃあの」の竹原慎二ならともかく。
確実に何かの間違いでしょうな。
そういえば以前TS-9DXに対する偏愛を語り倒したエントリーを投稿した際にも一日で400を越えるアクセスがあったなあ。
そんな馬鹿な!
皆そんなにチューブスクリーマーが好きか!
これも何かの間違いですね。

今日は久しぶりの練習だった。
それで思ったわけではないけれども、現状の記録として以下の事を。

楽器演奏者は技術向上を目指して常に邁進するのが在るべき姿なのだろうし、それは自作自演という行為に於いては必須な事柄かもしれないが、それ「だけ」になると、その創造物というのはとかくつまらないものに陥りがちだ。
これが昔考えていた事。
今となっては演奏技術及び演奏技法の幅の広さが音楽表現に及ぼす躍進、それ以前に『技術の披露によって』観る者に驚愕と圧倒的な『非現実感』を与える事が起こり得るし、そういう表現も存在するし、何よりそういうものを目の当たりにし、驚愕と賞賛を惜しまない自分がいる事に気が付いた。

それを踏まえた上で自分はどうしたいかという話であるけれども、やはり僕は精神性が根っこにある音楽をやっていたいのだなあと痛感した次第。
メンタル面が表現物、表現結果に与える影響については軽視できないのは明らかだし、それを実感したのは練習停止期間を経て実感した。
これが全てではないし、これに安住し、技巧的な音楽を否定するのは勿論違う。
だが、何のための技術かという観点で論じるのではればやはりそれは表現するためのものなのだろう。

「早弾き最高!!ヒャッハー!!」
「とりあえずエフェクターを山ほど繋ぐよおっお」

こうならないようにしたい。
長々と論じてきたし、語弊があったかもしれないけれど、結局僕は精神と表現結果の間のギャップをどんどん減らしていきたいだけなのだろう。

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