先日、5日のセットリストを練習してみた。ナレーションCDはまだ用意出来ていなかったので脚本を曲間に朗読して進行させたのだが。
自分でもビックリするくらい味気ない脚本。話の進み方もさる事ながら、言い回し等も全くこだわりのない酷く荒れた文章だった。
個人的には、題材がいかに平凡であろうとも優れた作家が書きさえすれば一級の小説が誕生し得ると考えている。自分は優れた書き手ではないし(知人には文章で生計を立てている方もいらっしゃって、そういう方の日記や文章は読んでいても全くストレスにならないばかりか清々しい。感服する)、それ以前に僕がやっている事は“小説を書く”事ですらない。
僕は書き手(厳密に言えばものを書くのが好きな23歳の若者だ)であり、不完全密室殺人はバンドである。
僕がせねばならないのはその二点を踏まえた上で、逃げ口上や言い訳として使うためにその定義を持ち出すでもなく、そこを現実として捉えたうえで最良の脚本を書き上げる事なのだ。
不完全密室殺人の公演に足を運んで下さる方の中には毎公演の脚本を楽しみにして下さってる方も確実に存在する。ならば僕は「演奏する構成員」とは違った段階でその方々に向かいあうべきなのだ、と考えている。
それが悪ふざけや遊び心を盛り込んだ上で中途半端にならないための最低限の責任であると考える。
そもそもその脚本ときたら、およそナレーション化した所で感情移入を促すような代物ではなかったのだ。僕の演奏、ともすればメンバーの演奏に関わる脚本を出すのはいかがなものか。
手を加え、僕は脚本に対しての不満を解消する事が出来た。話の大筋に手を加える事なく、ちょっとした添削と付け足しでかくも印象が変わるとは。
大変勉強になりました。
江戸川乱歩先生、有り難うございました。
コメント