クラシック音楽を聴いて感じる事。

233655eb.JPG音楽が日常生活に寄り添うようになった頃、最もよく聴いていたのはクラシックだった。中学校の音楽の授業でスメタナが作曲した「モルダウ」を聴いたのが僕がクラシック音楽に親しむ契機となった。当時の貧困な語彙力ではその時の感動は「格好良い」としか表現できなかったが、あの感覚は今ならこう表現するだろう。
「モルダウ」の旋律に幼い僕は心揺さぶられたのだ、と。それは実に雄大で、叙情的な旋律だった。

結局の所セックス・ピストルズに憧れファッション・パンクを気取るまで僕はクラシック音楽とアニメソングばかり聴いていた。MDウォーマンとコンポをクリスマスプレゼントか誕生日プレゼントか、何かの記念日に買い与えられた際もクラシックを上質なスピーカーで、又は耳に差し込んだイヤホンで聴いて楽しんでいたのだ。

今思えば、そしてこれは今なおそうなのだが僕が好むクラシックというのは「わかりやすい」ものが多い。有名な曲或いはとっつきやすい曲ばかりを好んで聴く。映画に使われるような曲もまた然り。

極論してしまえば“ロックバンド”の演奏では“オーケストラ”の圧倒的は出せないのではないかと考えている。各楽器が一斉に一つの曲、主題を奏でる事によって聴衆が感じるカタルシスは“ロックバンド”のその比ではない。音圧、高揚感、そしてそれは多重的であり構築されたものである。元々からして全く違うベクトルで成り立ってきたそれらを比較する事自体が無意味でナンセンスな事なのだろうが、同じ“音楽”にカテゴライズされるものとしてその違いは明白だ。
逆も然りであり、それは史上にロック音楽、それ以前にクラシック音楽という範疇と違った音楽が生まれ、そしてそれらが今なお愛されている事からも明らかである。

そんな事を考えながらも両者の間にある種の一貫性も感じられるから興味深い。幾度となく同じ旋律が繰り返され、13分かけて高揚していくラヴェルの「ボレロ」にはリフに通じる概念を見出だす事が出来るし、明らかにある種のクラシック音楽の影響を受けてそれを昇華したクリムゾンからもそれは感じられるのだ。
本当に面白いと感じる。
とりあえずホルストの「火星:戦争の神」はしっかり聴いておきたい。

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