ジョン・ウィンダム『トリフィド時代―食人植物の恐怖』

続・我が逃走

トリフィド。

この珍妙なる響きにこのブログの閲覧者諸兄は一体どのようなイメージを抱かれるだろうか。どこか異国の珍味?あるいは芸術家の名前?何かの宗教の神?

或いは貴方がその筋の好事家ならばあるバンドの歌詞の一節を思い出すかもしれないし、何であればそのものズバリを想起されるかもしれない。

トリフィド―――、それは自ら移動し、毒液を放出する鞭を有し、腐肉を食らう植物の名である。

『トリフィド時代』、以前このブログにその書物に行き当たった経緯を記した事がある 。稲武の野外学習で十部ナイル版を中途まで読み、その魅力にとりつかれ記憶の中にひっかかっていたSF小説。キーワードから書物名を調べ、その存在にいきついたのがもう今から4年前の事である。4年前のその記事は「書店に走ろう」という記述で終えられているけれども、こうして書評を書くまでに実に4年間かかったのには、その本が絶版になっていたからに他ならない。作品名まで到達したのに肝心の本がない。歯がゆさは相当なものであった。

こうして古書ででも出会え、そして読破出来たのは無上の喜びである。このエントリーは僕が中学生の頃、稲武の野外学習で貪るように読んだ『怪奇植物トリフィドの侵略』から続く、まさしく僕の「トリフィド時代」、その締めくくりとして記すものである。

ネタバレにも触れるのでご注意願いたい。さて、まずは粗筋を。

地球が緑色の大流星群の中を通過し、翌朝、流星を見た者は一人残らず視力を失ってしまう。狂乱と混沌が全世界を覆った。今や流星を見なかったわずかな人々だけが文明の担い手だった。しかも折も折、植物油採取のために栽培されていたトリフィドという三本足の動く植物が野放しになり、人類を襲いはじめたのだ! 人類破滅SFの名作。



様々なレビューサイトで事前に入手していた情報と、僕の記憶の中には随分と食い違いがあった。

「極限状態に追い詰められた人間達の人間ドラマ」「当時の世界情勢を色濃く反映した無常観」等、僕が読んだ『怪奇植物トリフィドの侵略』とは印象が異なるキーワードが幾つも並んでいたのだ。

それはそうだろう、僕が中学生当時に読んだのは少年少女向きに翻訳されたジュブナイル版、様々なシークエンスが簡略化されていたとしてもそれは少年少女向きにジュブナイル版たる本懐を遂げたに過ぎないのである。

で、読む前から僕は上記のキーワードから起因する若干の不安を感じていた。僕が中学生当時に感じたあの夢中にさせられるスリル、終末観は果たして原典でも味わえるのか、と。

無用な心配だった。むしろ野暮だったといってもいい。

本書を読み出して数分後、僕は完全に作品の世界に取り込まれていた。世界中の人間が緑色に輝く彗星群を目にし、失明する。植物油採取目的で養殖されていたトリフィド、その研究中にトリフィドの毒液で視力に損傷をきたし、入院治療中だった主人公は流星群を目にする事なく、その「翌日」を迎える。静まり返った病院、いつもと違う日常。次第に不安になる主人公、そして目にかけられた包帯を外して歩き出した主人公の目に飛び込んでくる病院内の異常。助けを求めて街へ出た主人公の目に飛び込んできた信じられない光景、そして三本足で歩き出し、盲目となった人間達に襲い掛かるトリフィド・・・・・。

序盤から崩壊した人間社会、そして漂う終末観にワクワクさせられる。今から半世紀程前に書かれた作品ながら、人間が感じる非日常への畏怖という感情は変わらないものなのか、主人公の視点を通して描かれる「その翌日」以降の世界は読者に心地良い緊張感と不安感を与えてくれる。

盲目を免れ、生き延びた人間達の思想や彼らが織り成す組織同士の関係に、確かに当時の世界情勢を見出す事は出来よう。しかしてそれよりも先にまずそれらが作中で無理なく機能しているので変に背景を気にせずに読み進める事が出来た。

稀代のホラー作家 スティーブン・キングが絶賛しただけはある、極限状態におかれた人間達のその行動や思想はリアルで、時に胸が痛くなる程だ。少しずつ明らかになってくるトリフィドの知性。それは蟻が有するよう集団性のようなものなのだけれども、そんなトリフィドの不気味さも秀逸。動きは決して派手ではなく、奇怪な鳴き声をあげるわけでもなく、静かに静かに人間社会を侵略してくる彼らはまさしく「植物」そのものである。

終盤、主人公が推測する。

あの日、人類のほとんどが視力を奪われたきっかけとなったあの彗星、実はあれは彗星なんかではなかったのではないか、と。あれは地球の衛星上をいくつも廻っている衛星兵器、それらの中の一つがもたらした「結果」ではなかったのかと。その伏線さえも序盤に張ってあり、そしてその「可能性」にいよいよ読者は絶望するのである。

視力を奪ったのが人類の生み出した科学の産物ならば、トリフィドも人類の手によって養殖された脅威ではないか。結局人類は自らの手で自らの首を締めただけではないのか。

自分達の行いへの警鐘。

それはもうとっくの昔、それこそ半世紀も前にこの素晴らしく面白い終末型SF大作の中で鳴らされていたのである。

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