バンドというものが一表現者の集団であると定義するならば、その表現に介入する人員が固定されるべきだという定義はナンセンスである。しかしてバンドを表現者の一集団と捉えるならば、継続的に同じ人員で表現を練り上げるというのはその定義の本懐だろう、と考える。
さて、そもそもが自宅に於ける内向的な表現の集いとして始まった不完全密室殺人だが、当初この集団(詳しくは後述していくが初期段階では我々は“バンド”ですらなかった)を立ち上げた構成員達が掲げたコンセプトでは「固定化されないドラム奏者」「毎ライブ異なるドラマーを迎え入れ、その都度変容する楽曲」というものがあった。弦楽器奏者3名(うち一名は名目上はサポートメンバーであった)は集いはしたものの、ドラム奏者の不在は紛れもない現実であり、人前で披露されるかその段階では定かでなかった楽曲達には便宜上リズムマシンによる打ち込みが導入されていた。
不完全密室殺人は意識せざるとも一表現者の集団という側面から開始したのである。
集団設立から数ヶ月、集団がライブという場を意識し始めた頃、我々はスタジオという鍛練の場に踏み入るにあたってドラム奏者という存在について今一度考慮しなければならなかった。
当初掲げたコンセプトに沿って様々なドラマーに声をかけた。5名以上のドラマーが参加を呼び掛けられ(彼らは様々な、違った表現を持つバンドに参加していた)、実際スタジオでの鍛練に参加可能な人間はその半数以下まで絞られた。不定形という側面に強い魅力、可能性を感じていた我々は最初期の狙い通りに運営を進行する予定ではあったが、度重なる鍛練、編曲作業において様々な弊害を意識せざるを得なくなった。
「即興要素がほぼない今、ドラム奏者を固定しない事の一体どこにその意義があるのだ?」「紛れもなく“バンド”として活動しようと思案している今、ドラマー不在のままパーマネントな活動が可能なのだろうか?」
可能性の吟味の結果、最良の結果であると思われた神田佑介もモチベーションが一致、加入となり、同時期に各務鉄平も正式加入を果たした。こうして我々は本質的に“バンド”となったわけなのだが、神田佑介が一時的にバンドの演奏活動から離脱して一定期間を経験した今、僕は「メンバー固定化」のメリット、そしていわば「メンバー雇用制度」のメリットを痛感しているのである。
メンバーが固定化された一表現集団内において、その集団はその集団特有の“言語”を持ち得る。一表現者が集い音を重ねる事を繰り返す事によって各々の表現が寄り添い、同化し得る。対して出入り自由、固定化されないメンバーにおいては固定化されたメンバーとの演奏によって受けるものとは異なる、違ったベクトルへの刺激を享受し得る。不確定要素、表現の距離感、マイナスイメージに限らず感じる違和感、それらが有機的に作用して思いもしなかった刺激を受ける事が起こり得る。これは固定化されたメンバー間でも往々にして起こる事なのだが、極論してしまえばそれは前例がない楽器奏者を導入した際に顕著なものとなる。前例のない音、旋律、そして意思が既存の楽曲に注ぎ込まれるのは他では感じる事のできない感覚である。
とどのつまり、最小人数たる四人編成と、サポートメンバーを導入した編成、或いは結果的に13人もの大所帯になった連隊編成の向かう先は、それらの差異を意識して設定されたものである。
全ては表現欲求の赴くままに。我々4人をつき動かしているのは結局そこなのだろうけれども。
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