ベースとの体の触れ合い。

昨夜はパイプカットマミヰズでスタジオ入り。日付が変わる瞬間から明け方5時までのミッチリ鍛錬コース。

自首企画、そして遠征後では初のスタジオという事で怒涛の4日間で得た反省をフィードバックすべく練習に励む。アスリートのような気持ちで(この場合アスリートのような、というのはアスリートであった事がない僕が言うのは厳密に言えば正解ではない。アスリートの感覚というのはあくまで想像の範疇を出ないけれども)クリック練習に勤しむ。ミキサーから出力される正確無比なクリック音は、バンドとしての演奏精度の粗を浮き彫りにしてくれる。勿論音楽表現に於いてただただ正確な事ばかりが良い事だとは思えないけれども、少なくともパイプカットマミヰズに於いては正確さに裏打ちされるタイトさというのが表現の上で不可欠になる瞬間が相応に存在する。

クリックという『共通認識』を鳴らしておく事で一定のテンポで刻む事、そしてお互いの出音の立ち上がりのムラが解消される事になれば良いと思う。

そして快感を感じる事にのみ集中していた演奏に於いて、お互いの音を聴くようになった事だけでも昨夜はハッキリと効果が感じられた。スタジオでの鍛錬で染み付いた習慣は、ライブの現場で衝動的になった際にも表出するはずで、少なくともパイプカットマミヰズではそれぐらいのニュアンスでクリック練習に取り組むべきだと思った。

昨夜はベースギター演奏についても色々と発見があった夜であった。

ツアー中に気付いた「ストラップの長さが演奏性に及ぼす影響」について一人色々と検証していたのだけれども、精神衛生的な問題もあるのだろうけれども影響はありそうだ。「ベースギターが肉体に触れる表面積によって低音域の鳴り方が変わる。それは肉体がベースギターのボディ振動に共振するからである」という未だに検証されていないが、実際なくはなさそうなそんな『信仰』、その影響を感じてしまったし、何よりそれによって影響を受けるのはアウトプットされる音だけではなく、出音を聴きながら演奏する演奏者本人である。低音域の出方やアタックの出方を耳で聴きながら、或いは体で感じながら手元でそれらを調整しながら演奏するベース奏者にとって、それは想像以上の影響を受ける。実に興味深く、ストラップの長さを調整しながら演奏した。

音に影響を及ぼす要因として、これは影響が一般的にも認識されているし多くの同好の士は共感を感じると思うのだが、僕が昨夜より一層その影響への認識を強めたのはピックの材質、厚さによる音の変化、である。

同じ厚さでもピックの材質が違う事によって低音域、そしてアタックの出方が顕著に異なる。指弾きに於いても指一本で弦をヒットするのか、そしてその一本は中指なのか人差し指なのか薬指なのか親指なのか、はたまた指二本で弦をヒットするのかで音が違う。弦を振動させる方法、媒体が違えばサウンドに変化が生じるのは当然なれども、昨夜の全く異なるイコライジングが施されたのかと思わせる程の出音の変化には目が覚めるような思いがした。

楽器本体を交換するのは、様々なサウンドをアウトプットする上で最も手っ取り早い方法なれども、楽器を限定してピックや演奏スタイルで差を出すのも面白い。こうして言葉にすると基本的な、一般論でさえある考え方だけれども、実体験として経験するとこれはいよいよもってしてその言葉に対して自覚的になる。

で、さんざんっぱらそんな真面目にベースギターに取り組んだ後は、ご褒美としてスタジオでレンタルしているWEEDのエフェクター(BOSS BD-2のベース用モディファイ)を用いて演奏。原音の発展形としての歪み、そしてその歪み方、実に良し。プラグインして数分後にはご満悦。

昨夜感じた事を、そのまま今後の演奏に反映、瞬間瞬間によって使い分けていけるといいと思う。

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