リハ後の葛藤

この日記によると藤ヶ丘Music Farmに出演するのは7年ぶりらしい。7年だって。久しぶりなんてもんじゃないはずなんだけれども、実際その事実を認識するまでは「あー、久しぶりに出るなぁ」って感覚でしかなかった。これだから自分の時間感覚なんてものはあてになりはしない。
7年ぶりのMusic Farmでの演奏は鈴木実貴子ズのサポートにて。ちょっと演奏後に家庭のサムシングがあったものだから本当に演奏だけして帰ってしまうみたいな強行スケジュールだったけれどもそれでもやっぱり、演奏が好きだからステージの上で大きな音で演奏出来るとなると気持ちははしゃいでしまうのであった。

この日、リハーサル終了と同時にメインスピーカーならびにモニタースピーカーがミュートされた瞬間、自分が耳にして演奏していたベースの音がほとんどメインスピーカーから出ていたものが反響して聴こえていたものだと悟り、こりゃあ本番で環境が変わるかもしれないなぁと内心ドキドキしてしまった。もっと早く気がつくべきであった。やたら遠くから聴こえるような感覚があるにはあったし、背中に背負い気味に設置してあるアンペグのキャビネットスピーカーから音を背中に浴びせかけられている感覚があまりなかったのだ。
アンペグは苦手だしここは久しぶりだからこういう聴こえ方なのかもしれないな、とリハーサルをつつがなく終えてしまった事を呪った。自分の感覚に正直になるべきであった。
メインスピーカーから反響して聴こえてくる音は、会場内の状況によって大きく異なる。また、この日はその限りではないが場所によってはお茶目なPA氏の采配によってリハーサルと本番と明らかにモニタースピーカーの音作りが「違ってしまって」いる事がある。
今の自分は、それだけ変容し得るものを頼りに本番の演奏に臨もうとしているのだ。

思索は楽屋へ引っ込んでからも続く。
そもそも我々みたいな出演者が何組もいる日に演奏するバンドマンはリハーサルも転換も時間との勝負である。入念に確認する事なんてセッティングや音作りをテキパキやらないと難しいし、場合によっては「ここでこう聴こえるのだからあのセクションはこんな感じだろう」と音量差とメンバーの演奏の方向性を元手にある程度見積もり状態で演奏に臨んだりするわけである。しかし人との演奏程不確定なものはないわけで、その余白はあった方が面白いしけれども余白を隙間にしないように気持ちの上で安心する必要はあるわけで、だから我々は音作りを可能な限り迅速に済ませ、リバーサル行為を行うわけだ。リハーサルはPAさんやステージスタッフとのやり取りの場でもあるし我々がその日の環境を確認する瞬間でもあったりする。
そしてサポートメンバーとして鈴木実貴子ズの2人の「ライブ当日の進行」にストレスを与える事は避けねばならない。2人が納得するまで確認作業を行い、納得した瞬間に切り上げる事が理想。その中で自分が最善の環境を作る事が優れた演奏家として必要な事であり、腕前の見せ所でもあるわけなのだが。
そういった意味ではリハーサルで100%のコンディションを作り上げる事が出来なかったのは完全に不徳の致すところ。情けない。

僕は、演奏前に必要以上にナーバスになっていた。それでも演奏時間が近付くと気持ちも大分吹っ切れて「なるようになるさ」くらいの腹の括り方は出来ていた。僕が経験をそれなりに重ねてきて良かったと思う瞬間はこういう時くらいである。何より気持ちが大きく作用する事を知っている。また精神状態によって状況はひっくり返していく事が出来る事も。

転換時、これは本当はやってはいけない事なのかもしれないけれど、ほんの少しベースアンプのボリュームを上げた。蚊の鳴くような音量しか出力されていなかったベースアンプから、それなりの音量で音が鳴った。少なくとも周りの環境との兼ね合いで、その上げた分だけで演奏が破綻する事はなさそうであった。
いざ本番が始まったらプレイヤーのやりやすさを優先してステージ上の音量は決定されるべきである、とかつて師がそのような趣旨の発言をされていた。PA、レコーディングエンジニアと日常的に音に触れる仕事をし、同時に尖った演奏をする師の言葉がその時の僕の行為の背中を押してくれたか定かではないが、結果的に演奏開始後数秒後に僕は自分の行為が良い方向に作用した事を悟った。激烈に演奏しやすかった。
この葛藤は大きな収穫である。迷って良かった。次、同じような局面をもし迎えた際の判断材料となる。
この日は良い演奏が出来たと思う。

2020_02_23_001
各務君のLine6 M9がリハ時にスイッチ不良。本人は慣れたものらしく「基盤が歪んでて、これは消しゴムを入れて直す」とコンビニで消しゴム買って直してた。凄いな。

コメント