リング・モジュレーターへの愛憎

同業者諸兄の大半は肯定してくれると思うのだが、バンドマンは金がない。

それは如何ともし難いスパイラル、バンドマンは自分のやりたい事のために金がなく、自分のやりたい事をやるには金が必要なのだ。

一般的な話或いは仮定の話で苦境、逆境を語れる段階は、まだいい。それが現実のものとなると我々人間はいよいよなりふり構わなくなる。溺れるものは藁をも掴むというが、僕は悪魔に魂を売り渡しのだった。

ここ最近続いていた慢性的な金欠状態により、少し前から機材整理に踏み出した。

明らかに使っていないファズやワウ等のエフェクター(楽器の音色を変えるもの、である)を身近な楽器演奏者に販売しているのだが、今日の画像のこればかりは曲者故かなかなか誰も食いつかない。

続・我が逃走

electro-harmonix Frequency Analyzer EH-5000。所謂リング・モジュレーターである。

詳しい解説はメーカーサイト に詳しいので割愛するが、簡単に言えばピアノやギターの音色を鐘の音にしてしまうような、そんな機械である。

使い道は、あるのか。

これがなかなかに難しい。今より音作りが未熟だった大学生時分にこのメーカーのファンだった僕は、このメーカー史上最も変な音がするというこれを店頭で試しもせずに購入、その文字通り『変わった音』に頭を悩ませていたのだった。如何せん、ベースを演奏しながらこれを作動させるとベースの音程がグチャグチャになる。

楽器の構造上は音程が上がっていくように弾いているはずなのに、アウトプットされる音は下がったりする。

結局つまりはそういう機械なのだが、これに当時の僕は頭を抱えてしまった。演奏の場に引っ張り出されないものは当然のように埃を被るわけで、このエフェクターも僕の部屋の機材の山へと埋没していたのだった。

機材整理の際にはそういう『使わないけど相応の値段で売っ払えるもの』が標的となる。使い道がなかった割に値段だけは結構したこのリング・モジュレーターが候補として挙げられるのは当然で、僕は何の感慨もなくこれを売りに出そうとしていた。

大手オークションへの出品ではなく、SNSごしの顔見知りのみへの呼びかけだとしても、出品者として動作チェックをする必要がある。

その際に、嗚呼、何て事だ、感じてしまったのだ。

面白い、と。

数年の時を経て僕はこいつの使い道を見つけかけている。それは機械と自分、不協和音とベースギター演奏の融合に他ならない。この無骨で悪辣なエフェクト・ペダルにほんの少し感情移入してしまったのだ。動作チェックだけで終えるはずが、演奏を楽しんでしまった。良いセッティングを探ってしまった。その刹那、僕の揺れ動いた心の隙間に「売りたくないなあ」という気持ちが湧き起こった。

それでも金銭欲、そしてその向こう側にある新しい機材購入への野心に目が眩んだ僕はこいつを出品した。

規模を拡大して全国数千人の機材愛好者に向けて、こいつを出品したのである。

・・・ああ、何て事だ。それでもこいつは帰ってきた。果たしてそれは「この値段で売れたら最高だなあ。これ以上値段下げたくないなあ」という自分の「売りたい/売りたくない」という相反する感情のひだをつくような価格設定が招いた結果か。それともリング・モジュレーターという機材の癖の強さが招いた結果か、こいつは、おおこいつは、誰にも購入の意を表明される事なく未だに僕の手の内にあるのだ!

おお、おお、僕は正直に告白しよう。「これ以上値段を下げるくらいなら売らない、売るものか」という価格まで自分の中で下げたその数十分後、自ら出品を取り下げたのだ。笑え、リング・モジュレーターよ僕を笑え。

この愚かで滑稽なエフェクター偏執狂を笑うがいい。お前は俺に勝ったのだ。

俺がどれほどお前を手放そうとしても、お前は俺の心の奥底の愛情を巧みについてくるのだ。一体お前はどれだけの毒婦なのだ。今となってはお前が変調した音すらもお前の嘲り声に聞こえてならぬ。

お前よ。俺の心の弱さに勝ったお前よ。俺はお前を使っていこう。お前と共に歩んでいこう。宜しい、恐らくこの世は修羅場なのだ。きっとそれは永劫に続く贖罪の時間なのだろう。俺はお前を見るにつけ、一度はお前を裏切ろうとした良心の呵責に駆られるだろう。その苦痛、その贖罪を俺は背負い続けようではないか。

お前は俺をあざ笑いながら、その狂った音で俺の音楽に貢献してくれればそれで良い。俺はせいぜい、俺を惹きつけてやまないお前の魅力を引き出す事に意を注ごうではないか。

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