久しぶりにクアトロに出た。

2021年初回のライブは名古屋CLUB QUATTROであった。
記憶が確かであれば前回名古屋CLUB QUATTROで演奏したのは大石理乃御大のサポートで演奏に参加したこの日で、実に3年半ぶりの出演となった。
ああいう大きなステージでの演奏、毎回終える度に「もっとこうすれば良かったああすれば良かった」みたいな気付きがあるのだが、いかんせん広いステージでの演奏となると間隔が空きがちでその間にすっかりその気付きも薄れ、悪くするとすっかり頭からすっぽ抜けてしまいリセットされているという始末。かくして今回も「ああこうすれば良かったなあ」みたいなテクニカル的な部分での反省はあれども終わった時にはすっかり後の祭、その日の帰りのタクシーの中で反芻して思い返したくらいであったのだから僕の学習能力も程度が知れている。
ただやはりこういう広い舞台、というか普段演奏する環境とは若干違う環境で演奏するという事は良いきっかけにはなっており、この日あたりから漠然とまた音作りを見直すようになったのであった。

さて最近は専らこのバンドでしか活動出来ていない、というかこのバンドしか動けていない状態である(畜生めが、コロナという思いもある)鈴木実貴子ズであるが、当初こそはバンド編成は特別版みたいな思いが演奏している僕自身にもあったけれど、近頃ではすっかりともう一つのバンドとして捉えている。
筋肉みたいな部分、もやはり鈴木実貴子さんに依っているのが本当に楽しい。歌がその瞬間にない時こそは好き放題とまではいかずとも自分の欲求に従ったりはすれど、歌が歌われている瞬間はその欲求が歌に向かっている実感があり、今自分は人生で一番歌に意識を向けて演奏しているかもしれんなぁとさえ思う。勿論演奏する時は何かに気を配ったりアンサンブルの中での役割とかそういうのは意識するけれど、かくも歌というものにフォーカスする事があまりなかったので今のこの状態は痛快だ。

この日の名古屋CLUB QUATTROは竹原ピストルさんとのツーマン。
竹原さん、共演バンドやかつてのレーベルメイトから良い人らしいとは聞いていたけれどもいやはや、本当に鑑のような方だ。挨拶して十数秒で「あ、凄く良い人だ」と肌で感じちゃうような。
こういう方は音楽も強い。しかし、想像しているよりも強かった。アコースティックギターを使っての弾き語りってこれはもう完全に個人の嗜好なんだけど飽きずにライブを楽しめる事の方が少なくて(ごめんなさい)、これは僕の集中力のなさとかそういうのも関係あるのだろうけれども、竹原ピストルさんにはすっかり射抜かれてしまったもんなあ。ギターの音の雄弁さ、その人がそのまま飛んでくるような歌。
やっぱりライブって素晴らしいなと改めて思った次第である。そんな当たり前の事を再度認識してしまうくらいには間隔が空いていたという事もあったのだろうけれども、この日の竹原ピストルさんのライブは感じ入ってしまった。
けれども後攻は自分達、感動して「良い一日だったナァ」では終われない。
気張って演奏せねばならぬ。

空間の広さに、意識が散ったか。それとも単純に肝の座り方が未熟なのか。いずれにしても「まだまだやれる」的な演奏をしてしまい若干落ち込む。ライブというのは毎回演奏をする度に「ああ、難しいなぁ」と思うけれども、この階段の今の段で足踏みはいつまでするのだろうか。そろそろ次の段に登らないといけませんよ。

2021_03_16_001

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