友人のバンドが年内一杯で解散する、と発表した。
バンドマンにはありがちな事だけど、少し前からそこに至る予兆は察していたし解散も発表より少し前に知っていた。だからこそ、動揺せずに静かに受け入れられた自分がいたと思う。
ライブも頻繁に観に行けるってわけでもないし、共演回数だけはそれなりにあったけれども何か一緒にガツンとやらかせたわけでもない僕にそこまでオープンになってくれて、有難う。
昨日は鶴舞DAYTRIPにて大阪の沙樹ちゃん主催「呼吸を感じる日#7」に孤独部のお手伝いで出演。
お手伝いで、っていう表現をするには随分と出張った振る舞いをしたけれども、今回の孤独部のテーマは「バンド」であってそれはバンドをテーマにした演劇作品を創る事でも、バンドを取り入れた演劇作品を創る事でもなくて演劇表現をライブハウスで続けてきたかしやま君(孤独部)とバンドをやるっていう事に他ならなかった。
少し前、それこそいつだったか判然としないくらい曖昧な記憶なのだけれども一時、かしやま君の即興芝居と僕の即興演奏で何か出来ないか、と思った時期があって今この瞬間まで忘れていたけれども、昨夜やったのは結果的にそれだったと思う。
今回かしやま君から「二人でやるっていうヴィジョンともう一つヴィジョンがあるんですがどっちがいいですかね」と相談めいたものを受けた時に「どうせこいつは何を言ったって自分のやりたい事をやるんだろうよ」という全幅の信頼を元手に自分の意見を反射的に口にしたのだけれども、結果的にかしやま君もその選択に良いヴィジョンが伴ったらしく、前夜、土壇場での練習(前回のエントリーでも書いたけれどもこれは本当に珍しい事だ)で良い手応えを感じて、かしやま君と僕はフツフツとしたものを抱えながらステージに上がった。
かしやま君の即興芝居と僕のループエフェクターを用いたベースギター演奏、これによるアンサンブルから僕達はバンドと同質のものを感じていて。結局アンサンブルする相手がドラムやギターから演劇に変わったってだけだと思う。別に珍しい形態じゃないし前代未聞ってわけじゃないけど、かしやま君の人前で発するオーラに今まで一緒にものを作ってきた事による、+ここ最近の彼との会話で積み重ねてきた信頼関係っていうものが元手にあれば細かい取り決めなんかなくたって良い具合にアンサンブルするだろうなっていうのはわかりきっていた。
結果的にかしやま君も僕も手応えを感じる事が出来たみたいで、どうせ彼の事だからこれを続けようとは思わないんじゃないかだなんて勝手に思っているけれども、やってみて良かったと思う。
僕も孤独部での演奏史上、前例がない程しっかりと彼の作品に演奏で向き合えたと思っている。
ステーに上がる前、完全にバンドメンバーと接するのと同じような、僕からすれば日頃のバンド活動で繰り返している瞬間っていうのをかしやま君と過ごした。演奏開始のその直前まで完全に同じだったし、演奏中も曲間も僕はしっかりバンドでライブをやっている気分だった。
何が違ったかって、かしやま君が打ち出してきたものがいつもより鋭かったってだけだ。
それだけで十分。昨夜の段階でのベストは尽くせたんじゃないだろうか。
お手伝い冥利に尽きる。
ついでに僕は、自分自身の演奏上での課題も持ち帰る事が出来たんだし、言う事はない。
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