入間人間『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 幸せの背景は不幸』

続・我が逃走

映画化されるという事で入間人間『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』を。

まずはあらすじ。

御園マユ。僕のクラスメイトで、聡明で、とても美人さんで、すごく大切なひと。彼女は今、僕の隣にちょこんと座り、無邪気に笑っている。リビングで、マユと一緒に見ているテレビでは、平穏な我が街で起こった誘拐事件の概要が流れていた。誘拐は、ある意味殺人より性悪な犯罪だ。殺人は本人が死んで終了だけど、誘拐は、解放されてから続いてしまう。ズレた人生を、続けなければいけない。修正不可能なのに。理解出来なくなった、人の普通ってやつに隷属しながら。―あ、そういえば。今度時間があれば、質問してみよう。まーちゃん、キミは何で、あの子達を誘拐したんですか。って。第13回電撃小説大賞の最終選考会で物議を醸した問題作登場。



過去に誘拐事件の被害にあった「みーくん」と「まーちゃん」を中心とした、ミステリー要素有りの人間模様。いや、特異な人間模様が絡んだミステリー、なのか?

読了し終わって、否、読んでいる最中からある作家の名前がちらつく。「特殊な」人間達が織り成す「ミステリー」を「パロディ交じり」のくだけたテイストで描く(そして名前は「言葉遊び」のようである)というのはもうあの人しか連想しないのだろうけれども、本作はまああの作家の作品群が好きなれば十分楽しめるだろう。

主人公の語り口調からしてもう完全に「戯言○い」的な香りがプンプンする。本来ならば日常生活に於いては一番『ブッ壊れて』いると認識されてしまうはずの「まーちゃん」が、ある意味では一番常人っぽいというかリアリティがあるのが何ともおかしい。しかして本作、そして本作の登場人物達にリアリティを求めるのはナンセンスというもので、心が壊れてしまった「まーちゃん」を取り巻くそれはもう実在しようものなら確実に世間に溶け込めない人間達の軽妙洒脱な言葉のやり取り、そしてキャラクター造詣を楽しむのも本作の楽しみ方としては間違っていないだろう。僕も大いに楽しんだ。

で、そんなキャラクターを楽しむ趣味のない向きには本作のミステリー的側面に着目して頂きたい。

その手のひっかけになれた方々は本作の仕掛けに或いは気付かれるかもしれない。ミスリードらしいミスリード、「もうこれは完全にひっかけだろう。ざあとらしい!」と叫びたくなるようなミスリードは恐らく作者の中ではひっかけでさえなく、恐らくそう機能するようにと意識して書いていないだろうけれども、いやはや、僕は完全に引っかかってしまった。

まあ勿論、ミステリーを読む時の快感の一つに作者の術中にハマるというが挙げられるし、そう考えれば僕って大抵のミステリーを無邪気に楽しめてしまう典型的な『良い読者』なんだろうなあ。

西尾維新の作品が好きなら、是非本書もお薦めしたい。とりあえず僕は二作目もおっかけてみるつもりだ。

あ、いっけねえ、西尾維新の名前伏せるの忘れてた!

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