8月27日(水)、この日は御器所なんやにて公開セッションに出演。
事の発端はSNSでの小野浩輝さんの発信「誰かセッションしましょう」に僕が「やりたいです!」と挙手した事に因る。
小野浩輝さんと初めて一緒に演奏したのはかれこれ14年前(!)。TOKUZOで開催された『トリコロール』という即興演奏ゲームに出演したところ、小野さんも大勢の出演者の中にいらっしゃったのであった。当時の日記を読み返すと「小野さんの演奏が格好良かった」とわざわざ名指しで書いていたのでよっぽど僕は刺激を受けたのであろう。
その後も栄の路上で一緒に演奏したり、『ブタと貴様ら』というバンドを結成してライブを行ったり、小野さんとご一緒する機会は数年の一度は得る事が出来ていたけれども最近はすっかりご無沙汰してしまっていた。
そんな小野さんからの発信に衝動的に飛びついた次第。
その後、小野さんとやりとりをする中で「どうせやるなら公開セッションにしましょう」と御器所なんやで公開セッションを開催する事になり「誰か面白い人いないかな」という事で僕の友人知人の中でも有数の面白い人達を誘ったところ、フライヤーの字面の時点で混沌とした公開セッションとなった。
泥水ここあというのはヨシダヒズム君(パイプカツトマミヰズ)の別名義。
楽器は何を使うのかと訊いたところ「ジェンガ」と回答がきた。その瞬間に「やばい奴を誘ってしまった」と思った。
かしやま君(あたらしいまち/白線の内側)も出演してくれる事に。かしやま君、白線の内側の活動でもメインで使っているサンプラーを獲物に選択。
当日、仕事を終えて急いで帰宅。服だけ着替えて前日に組み直したペダルボードとベースギターを車に積み込んで家を出る。
なんや、自宅からそう遠くないと思っていたけれども想像していたよりももっと近かった。車で5分程で着いたもんね。
コインパーキングに車を停めてなんや2階に入っていくと僕が会場入り最後だった。
慌てて機材をセッティングしながら「いや、あれ、吉田君ギター持ってきてるじゃん」。
「即興演奏の音圧の中、耐えながらジェンガをやる」事を表現とするとしていた泥水ここあ=吉田君、まさかのエレキギターを持参。「いやなんか心配になっちゃって」との事。この絶妙な「イカレてやがるけれども狂っちゃいない」感が吉田君そのものであり、吉田君たる所以だよなあと思う。
樫山君は空きスペースに陣取ったと言っていたけれども一番客席寄りで、何なら彼から見える視界はオペ卓に座った時のそれに近しいだろうし、やはり演出家なんだな。
演奏はボードを組み直した際にも書いたけれども、どうしてもT2をオンにしてドローンとかアンビエントっぽいアプローチに帰結しがちだったので、自分でも「やり過ぎかな」と思った瞬間に演奏を『意識しないように』違う何かに切り替えるという事に意識的になった。いびつさが出ていれば良いなと思う。
人の演奏を受けて返すのが僕のベースギター演奏に於ける立ち位置の75%以上を占めていると思っているのだが、この日はそこに居続けないように留意した。
散らばった何かが集まって一つの渦みたいになれば良いなと思ったので、あくまで自分の次元から投げかける/ブン投げるように意識してベースギターを弾いた。
途中で休憩を挟んだ。
コインパーキングの駐車場内で妻が持たせてくれた軽食をパクつきながら「いや難しいなあ!」と前半戦を反芻した。
後半はもっと自分自身を裏切るような演奏がしたい、と思った。
後半は泥水さんのジェンガ、小野さんのけん玉で演奏が始まった。
ジェンガを抜いては載せる音、そしてけん玉を連続試行する音。僕もこの純粋な遊戯行為に混ざりたいなと思ったので、泥水さんのペダルボードの中に居た宇宙恐竜ゼットンのソフビと戯れる事から始める事とした。
ベースギターをスタンドに立てかけてMEATBOXをオンにしておくだけで超低域でフィードバックが始まる。それをアンプのマスターボリュームを徐々に上げる事でコントロールした。ドローン音楽みたいになれば良いなという思ったのだけれども、やっぱりそこかよみたいな気持ちになったので取りやめ。ベースギターを背負って演奏を開始した。
ベースギター演奏を始めた頃の、自分自身の演奏の不連続性(好きなフレーズだけを反復して弾いたり弾ききれなかったり弾けたり)を強調してアウトプットするような演奏。要するに初心者が好き勝手にテロテロ弾いては辞める様を演奏で表したかったのだけれども、果たして成功したかどうか。
終演後はなんやで飲み食いしながら(ぶっかけ薬味そうめん、滅茶苦茶美味しかった!)楽しい時間を過ごした。
KING CRIMSONの『USA』を聴きながら音楽の話とか海外ドラマの話とか即興演奏についての話とかあの人は今何やってるんだろうとかそういう話をした。思えば、こういう打ち上げ的な時間も久しぶりである。
即興演奏、終えてみれば自分の中で今回の演奏をどう落ち着けるか理解出来るかもしれないなと思っていたのだけれども、さにあらず。全ての演奏行為は即興的というか瞬間構築的であるべきだと思って日々の演奏を続けてきたのだけれども、本当の意味で即興行為の入り口が見えたのはひょっとしたら2025年8月27日のこの夜だったのかもしれないな、と思う。