少し前に仕事の関係で取材を受ける事になり、有難くも自分の経験や思いを人にお話したのだけれども、出来上がってきた記事を読み返して人に伝える事の難しさを痛感している。先方はきっと悪くないのだ、自分が好きなように話し倒したのが良くなかった。
理路整然と、どうしたって曲解しようがないように話をしないと内容は切っ先鋭く正確にはならない。拡大解釈や曲解はそういう方向への推進力がなければ進みはしないけれども、そういう方向性の提示さえなければそういった「伝えたい事が変質する」リスクは避ける事が出来たように思う。ひょっとしたらここ最近で一番の気付きかもしれない。
暇潰しと惰性と情報収集への欲求、7割のどうでもよい事と3割のどうでもよくない事を発信する必要性に駆られてSNSを続けているのだが。毎日暇なタイミングや言いたい事がある時(それにしたって誰からリアクションがあるかどうかもわからない事を不特定多数に発信するわけだから伝えたい事であったり必要性があったりする事であるわけがない)にログインしてチラ見したり発信したり、をしているのだがここ最近で世の中の他人というのはどれだけストレスフルなのかと心配になったりする。
僕の見ている範囲だけなら良いのだが、何だか最近ピリピリしたり「こうでなければならない!」みたいな人が多いように思える。
別にSNSなんだから好きにすれば良いのだが、疲れないかなあとか大変そうだなあと心配になる。
僕はといえばエフェクターや日々のどうでもよい事ばかりを発信している。どこかの誰かに「最近大丈夫かな」とか思われているんだろうか。僕が他人を心配するように。
コメント