出演辞退をした話。

19日は本来であれば鈴木実貴子ズのサポートで大阪『お魚フェス』に同行、ベースギターをブイブイ弾き倒す予定であったのだが新型コロナウイルスが再び感染拡大している状況を鑑みて、僕は出演を辞退させて頂いた。
これは僕の、自分自身の選択であり誰かに強制されたものではない。

体は元気そのもの、また楽器の状態も万全だし何より気持ちはもう完全にワンショットワンキル、一音で何人の心を撃ち抜く事が出来るのか(サポートであれなんであれ、人前で弾く以上その精神は持ち合わせるようにしている)やったるぜ的な精神状態であったのでその決断を下した時は無念でならなかった。
何より鈴木実貴子ズの2人、そして同じくサポートメンバーである各務君に伝える時は大変申し訳ない気持ちで一杯であった。新型コロナウイルスの感染状況が一気に拡大してきた(キャンセルを決めた時は大阪にて三日連続、毎日20名を超える感染者が確定した時分であった)タイミングであったにせよ、何せ土壇場でのキャンセルである。

僕はバンドマンであると同時に夫であり父であり会社員である。結婚以降いついかなる時も最善の相談相手として存在してくれている妻も「今回はしょうがない」と夫として父としての僕の決断を支持してくれたし、仕事柄僕が万が一にでも感染すれば多くの人をリスクに晒す事になる。その中には無症状や軽症では済まないであろう高齢の方も大勢いらっしゃるだけに会社員としてもこの選択は間違いではなかった、と思っている。

だがしかし、ここから先は完全な泣き言だ、だがしかし、バンドマンとしてはどうか。
色々なものを兼ねながら、言ってしまえば趣味の範疇でやっているに過ぎないバンド活動ではあるけれど、それでも矜恃は持っているつもりだしプライドも意地もある。出演辞退なんて本当、初めての事じゃないだろうか。自分で決めた事とは言え、滅茶苦茶悔しい。悔しいとは違うな、なんだろうな、滅茶苦茶不甲斐ない気持ちになる。完全に僕一人の話だし同一の選択を選んだ他人を貶めるつもりは全くないし他の人に対してそんな風に微塵も思わないのだけど、出演辞退を決めてそれを鈴木実貴子ズの二人、各務君に伝える際には「ああ、俺は敵前逃亡を決め込むんだな」となんとなく、思った。
今まで何度も「最低だ」と思ってしまうような演奏はしてきた。けれどもそのいずれも価値があった。人前で最善を尽くそうとその瞬間その瞬間に尽力したからだ。だがしかし今回は理由が理由だけに誰も僕を責めやしないし糾弾もしないが、出演辞退である。情けないねえ、不甲斐ないねえ。

だが、これが色々な立場を兼ねながら自分の好きな事をやっていくという事だ、とも思った。その瞬間その瞬間、どうすべきかどれがベストの選択なのか何を選んで何を捨てるのか、優先順位は、(自分の中の)あっちを立てるのかこっちを立てるのか、どう在るべきなのか。板挟みになりながら選んでいく方法論を選んだのだ、僕は。覚悟はしている、していたのではないか。何か一つを徹底的に突き詰める者を横目に「あれも欲しいこれも欲しいもっと欲しいもっともっと欲しい」と欲しいもの手が届くもの全部を手に入れて、抱え込んで、そして全部維持する、していく。
俺は強欲な人間ではなかったか。ならばこれからも判断を迫られる瞬間は必ずやってくる。迷い続けろ。

当日、集合時間に集合場所に顔を出した。
演奏開始時間には西の方角に念を送る、と半分冗談、半分本気で声をかけた。

後日、演奏を各務君が録音したものを聴き、高橋君が仕込んで撮影したライブ動画を観た。
やっぱり滅茶苦茶格好良かった。いやだけどやっぱり、くぅぅぅぅ、ベース弾きたかったなぁ!!!

コメント