書かなきゃいけないライブの思い出も、日常の記録もこれからの事も沢山沢山あるけれど、どうしても今この瞬間にこの事を書いておきたい、書いておくべきだと思って、書く。
2013年、3月3日、舟橋家の愛犬ショコラが永眠した。享年11歳。
今から12年前、家族の一員として迎え入れられた彼女はそれから昨日に至るまで僕達を楽しませ続けてくれた。
昔、魚屋の魚を食べてしまって保健所送りになりそうになった所を舟橋家に引き取られたビーグル犬のキース(前の飼い主がローリング・ストーンズのファンだったそうだ)が亡くなって、彼との生活を忘れられなかった父が母の反対を押し切って半ば強引に一家へ招いたのがイングリッシュ・スプリンガー・スパニエルのショコラだった。「名前を付ける権利をやる」と言われ、当時NIRVANAにハマッていた僕は雌犬という事で安易に「コートニー」と名付けようと提案したのだけれども曖昧な笑みとともに彼女の名前はショコラ、になった。
室内犬として生活し、後にここ数年彼女を苦しめたてんかん発作を起こすようになる前まではほとんど無駄な遠吠えもなく、比較的温厚な性格でその癖母より男性陣を好む男好きな犬だった。獣臭い息を吐きながら短い尻尾をブンブン振って顔面をベロベロ舐めてくる彼女に、時に「僕にそこまでしてくれる女の子は君だけだよ」と慰められ、時にカーペットの上で一緒に横になって眠りながら留守番をするというのどかな時間を貰った。目の間や顎、後頭部を撫でられるのが好きなようでちょっと撫でて辞めてしまうと「もっとやれ」と言わんばかりに前足をこちらの手にひっかけてくる。撫でているとそのうち目つきがトロンとしてきてゴロンと横になる。そんな挙動がいちいち愛らしかった。
数年前にてんかん発作を起こしてから、僕達家族、特に両親の生活は一変した。いつ発作を起こすかわからないので父はそれまで寝ていたダブルベッドから離れ、リビングに布団を敷きショコラと一緒に眠るようになった。深夜でも発作を起こすと近所の動物病院まで彼女を運び、注射を打って貰い落ち着くのを待った。好きな旅行も我慢して、TV番組でハワイ旅行について報じられると「今は行けんなあ」と苦笑していた。母もそうだが、特に父はショコラに入れ込んでいたので。
僕は美人だと思うのだけど母は「君は本当のスプリンガーの美しさを知らないんだよ」と笑いながら言っていた。そんな会話をしながらも母の視線は慈愛に満ちていた。女同士気もあったのか、一人と一匹はよく話をしていた。母の良い話し相手になっていたのだと思う。
垂れ下がった頬の肉と随分と余った顔の皮でとても凛々しい顔立ち、とは言えないけれども本当に愛嬌のある可愛い奴だったな、と思う。段ボールの棺桶に花と愛用のリード、ビニール袋に包まれた餌と一緒に眠る彼女の顔はよくある言い回しだけれども本当に眠っているようで、遠征先で訃報を聞いて胸の中をザワつかせながら自宅へ戻った僕は拍子抜けしたものだ。
命ある者は必ずいつかは終わりが来る。彼らと出会った僕としては出会って仲を深めて感情移入して愛した存在を失うのは本当に恐ろしい。怖い。恐怖以外の何者でもない。でもその恐怖と喪失感に立ち向かって、立ち上がるために人生には多くの出会いがあって、その出会いが深まっていつしかそんな時に寄り添ってくれる存在が色々な形で出来るのだと思う。補填、ではなく替わり、でもなく、それがあるから踏ん張る事が出来るような、そんな存在の話だ。そうして多くの喪失を経験していく間にいつしか、自分自身が失われる。そうやって人生は終わるのかもしれないなあ。
本当に可愛い、素敵な家族だった。
ショコラ、12年間僕達を楽しませてくれて有難う。願わくば君も楽しんでくれたなら嬉しい。
そしてお疲れ様。本当に、本当によく頑張った。
どうぞ、安らかに。忘れないよ。
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