土台の話。

普段は寝てるような時間に起きて「寒い寒い」とマウンテンバイクを漕いで職場に向かい「眠い眠い」と思いつつも仕事を頑張って仕事を終えて「明日は金曜日だ」と迫る連休に胸を高鳴らせる。
帰宅して心の底から旨いと思える夕食を、咀嚼回数を30回と決めているのに心が急いて早々に飲み込んでしまい、食べるというよりかは貪るような食べ方をしてしまい、一息ついてまたマウンテンバイクで出掛ける。
お世話になってるライブハウスでビラを貼ってもらい、そのままエフェクター専門店を覗いて友人宅で電子ドラムとベースとギターでセッション。ミキサーに繋がれた弦楽器の音量や電子ドラムの音量は小さいが、しかし演奏しながらでも会話出来るその快適な環境の中、少しずつ想像力を形にしていく。する手伝いをする。
日付が変わらないうちに帰宅してボーッとしたり友人とスマートホンを使って連絡を取ったりする。
こんな平和な一日が楽しいと思える程、充実している事があるだろうか。
ってな一日だった。

近頃は各界の第一線で活躍する人達に密着したドキュメンタリーを観るのが精神的なカンフル剤というか、モチベーションをグンと上げる材料になっている。
名前くらいしか知らなかったバンドに密着した回を中途まで観て、何となく止めた。密着取材の中から浮かび上がるメンバー間の人間関係の親密さに観ているこちらが居心地の悪さを勝手に感じてしまったからだ。
薄気味悪い、とか否定する言葉はきっと出てくるけれども、自分の中にそこまで強固に赤の他人と何かを共有する事に対する未知故の憧れを感じたからだ。
誰かのために、とか何かのためにものを作ったり表現したりそれこそ演奏した事なんて、ほとんどない。そりゃあお祝いの席で特定の誰かの事を考えて演奏したり、とかはあるけれどもそういうのって普段自分が繰り返している事をその時だけ特定の誰かに向けて、フォーカスして行っている事でそれ自体がその行為を行う根本的な動機付けにはなっていない。
僕は僕の行動を全て自分のために行っているし、始めてきた。面白そうだから、というのはそれをやった上で誰かが面白いと感じそうだから、ではなく誰よりも自分自身が楽しめそうだから、であり誰かに協力する事もそれ自体が面白そうだから。
この動機が自分自身、一番しっくりくるし無理がないと思っている。むしろかくあるべし、とさえ思っている。
勿論、その結果失ったもの(僕のそういう部分って必ずどこかで赤の他人にも伝わる。こいつは何よりも自分が楽しみたいからやっているわけで、何かが言いたいわけでも何かを伝えたいわけでも、人に対してどうこうしたいってわけじゃあないなっていうのは。それに気付いて興醒めする人間の事を否定する気はない)もなくはないけれども、結局は些末な問題だ、それは。
世のため人のため、だなんて口が裂けても言えない。僕が楽しんでいるものを楽しめる人がいれば是非一緒に楽しもう、とは思うけれども。面白いものはきっと人を楽しませる力が、力強さがあるだろうからそこを追及すればあとは勝手についてくる、と思っているしこれからもきっとそうだろう。
自分自身の存在さえも相手に含める事なんて、僕はした事がないからその密着映像がとてもとても薄気味悪く思えてしまったのだよ。本人達はとても健やかなんだろうな、と思いながら。
羨ましくないわけがない。隣の芝生はいつだって青く見える。身の回りの人間にだってそういう風に羨むのだ、殊更人を美しく見せるつくりをした、そういう映像が僕に刺激的ではないはずがない。

動揺するのも、また楽しい。
こういう感情も含めて、本日も大いに平和だった。

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