昨夜はグレッチベースを背負ってマウンテンバイクをジャコジャコ漕いでスタジオへ。
この時分にベースのケースを背負っての自転車移動は、丁度ショルダーストラップが当たる位置だけ汗でTシャツの色が変色するので若干恥ずかしい。お風呂上がりも何のその、急な坂を越えた更に向こうにある(とは言っても自宅から20分もかからない程度の距離なんだけどね)練習スタジオに着く頃には僕のグレーのTシャツは肩から脇にかけてだけでなく、胸元まで少し変色していた。自分が生き物である事を痛感する瞬間である。
さて、珍しくもグレッチベースをどうしてスタジオに持ち込んだかというと、昨日の練習は28日に今池HUCK FINNにて行われる「さよなら大丸プロジェクト『今池午前二時』イベント第一弾『特別出張 居酒屋もりちゃん』」に出演する「舟橋孝裕with nokosareta NERIMONO’s」の練習だったからである。僕、伊藤誠人(バンドを色々やっている)、せんちょー氏(ナナフシ/JONNYレギュラーサポート等)の3人から成るアコースティックバンド(電気使うけどね)で僕はベースを弾きながら歌うわけで、それならばという事で昔ベースヴォーカルをやっていた頃に愛用していたグレッチベースを持ち出してきたっていうわけ。マスターボリュームの具合がおかしかったのでちゃんと修理までしたんだぜ。
ベースヴォーカルをやるのは相当久しぶりで、歌いながら弾くっていう経験がそれ以降ほとんどない(コーラスもあまりしないのだ、僕は。僕のマイクはMC用と自認している)中でのスタジオ練習は、ここ最近では一番緊張した。自慢ではないが、歌に自信はない。不完全密室殺人のアルバムでは一曲だけ僕がメインヴォーカルの曲があるのだけれど、あれにしたって「バンド内で一番歌心がない奴が歌った方がいい」という事になり、ほぼ満場一致で僕になったくらいだ。
どうにか歌の練習をしたいと思ってカラオケボックスにフリータイムで入室、2時間近く歌い続けてきたのだけれどもベースを弾きながら歌うのは久しぶり。
しかし思ったよりしっくりとまとまって(伊藤誠人、せんちょーによる功績が大きいと思う)スタジオも予定より早く切り上げる程だった。尤も、僕の歌っていうのは「一生懸命歌ってる」という気迫以外は何も伝わらないものなのだけれど。
スタジオ後に「大丸イベントに出演するのだから」と3人で大丸ラーメンへ向かった。一旦は「帰る。眠いし」と辞退した伊藤君も結局現地に到着すると、やって来た。平日の4時近くにしては行列が長い。閉店という二文字が深夜の今池を突き動かしている。
昨夜は特に暑かった。火に囲まれて調理されている大橋さんは尚更だろう。伊藤君、せんちょーが入店してさあ次は僕だ、と息巻いていると大橋さんが「もう作れないから!」と凄い剣幕でギヴアップ。普段ならそれでも作って下さるのだけど、昨夜はそのままカウンターの外に出て来られ、空いている椅子に座ってらっしゃった。「すわ、これは本当に一大事」と心配になったものの、大橋さんの視界に姿が入っているだけで大橋さんにプレッシャーをかけるような気がしたのでとりあえずお店の前を離れる。僕の後ろにも並んでいる方は数名いらっしゃったのだけど、彼らもこの突然の打ち切り宣言に動揺を隠せなさそうだ。
そりゃあそうだろう、明け方に一杯のラーメンを心待ちに待っていたのだ。
けれども、彼らも僕も思いは同じだったのではないだろうか。あの大橋さんの表情、悲痛な声を耳にしてそれでも尚ラーメンを作る事をお願い出来る人間等いるはずがない。それは殺人に加担するようなものだ。
あれは、紛れもなく熱中症だったもんな。
食べ終えて出てきた伊藤君に様子を聞くと、大橋さんは水をガンガン飲んで一息つかれている様子。
帰りがけにお店を覗き込んだ所、今池で50年以上ラーメンを作り続けて来られた一人の職人はカウンターに座って茶碗で水を飲んでいた。
「大丈夫ですか?」
「すいませんね、もうバテちゃったもんで」
「いえいえ、それはいいんですけど、本当に大丈夫ですか?飲み物あります?」
「もうお水飲んでるもんですから大丈夫ですよ。有難うさようなら、気をつけてェ」
嗚呼、あの笑顔。
誰が一体、70歳過ぎの老人にあんな思いをさせる権利があるというのだ。「5時には締めるから」と言っているし一般的に認識もされているのにそれでも尚並んでしまう俺達があの人の肉体にダメージを与えているのではないか。通う事が大橋さん、そして大丸ラーメンへの愛情を示す行為だと俺は信じて疑ってこなかったが、果たして、この期に及んで、それは本当にそうなのか。
思わず疑問、自責の念に駆られそうになったが、伊藤君の一言に救われた。
「それでも、あの人の生甲斐でもあるんだよ、これは」
今池の夜は、更けていく。
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