舟橋孝裕は、枯葉に覆われた腐葉土を視界一杯に見ながら夜の帳の向こう側、虫の鳴き声や風の音の向こうに何か音、それも人の発する呼吸音や足音等が聞こえないか耳をそばだてていた。
体を丸めてうずくまっているのは決して楽ではない。ジーンズ越しに土のひんやりとした冷たさが伝わってくるし、無理な姿勢を数十分間続けるなんていうのは日常生活においてはおよそ経験しない事である。更には数ヶ月前に骨折した左腕の中にはまだ針金が入っていたし、気温の変化に敏感な傷口は夜の冷たさに反応し、鈍く痛み出していた。
全く。全く何故俺はこんな姿勢で隠れているんだろう?もっと楽な隠れ場所があったんではないか。
そんな疑問をかきけして呼吸を整える。これは心理戦なのだ。
―数十分前の事だ。「お花見に行こう」と集ったメンバー(篠田尚希、谷川ぴーたん、井藤なにがし氏)で、舟橋家の程近くにある千種公園を訪れた。夜中一時に花見とは夜桜も夜桜、およそ花見といった風情ではなかったがそれでも夜中の散策は一行の気分を高揚させるには十分だったし、軽口を叩いたりはしゃいだりして公園に移動する間にはじめはのり気ではなかった篠田でさえ、若干楽しそうな様子を見せていた。
千種公園は1キロ平方メートル以上の敷地内に大小3つのグラウンド、ユリ園や遊び場を有する巨大な公園である。特に大掛かりな遊具、施設があるわけではないが住宅街からそう遠くもなく、中学校が隣接する事もあって平日の正午過ぎには子供を遊ばせる主婦、学校帰りの中学生等で相応に賑わう場所であった。
しかしそれも日中の事。夜中の1時過ぎ、草木も眠る丑三つ時ともなればジョギングコースとして、或いは犬の散歩でしか訪れる人間はいなかった。あるいは舟橋達のように酔狂な人間でなければ足を踏み入れはしなかっただろう。それにしたって珍しい事ではあった。深夜の千種公園はおよそ人気がなかったのである。
数十分も遊んだ頃であろうか、伊藤誠人から携帯電話に電話がかかってきた。
『今、どこだ』
合流する約束をとりつけていた伊藤誠人が、千種公園に着いたのだ。訊くと、公園入り口にいるという。
「公園の敷地内だ」
そこまで告げた後、舟橋に悪戯心が生まれた。
「30分以内に全員捕まえたら・・・」
横から井藤なにがし氏が継ぐ。
「コーヒー奢ってやる」
『・・・わかった、待ってろ』
かくして、深夜の千種公園を舞台に大人の鬼ごっこが始まったのであった。
鬼ごっこ、と書いた。しかして舟橋がやっていたのはどちらかといえば「かくれんぼ」に近い属性のもの、というかかくれんぼそのものであった。開始数分後に背後50メートルの地点で井藤なにがし氏が捕獲されたのを、そして伊藤誠人が恐らくは自転車であろう、機動力の高い乗り物に乗って現れた(ライトと思しき灯りで判断出来た)のを視認した瞬間、篠田と舟橋は全力疾走で公園中心部へ向かっていた。そこにはトイレもあれば植え込みもある。グランドもあるし少し外れにはアスレチック等の遊具もあった。隠れるには絶好の場所だ。
・・・考えろ。
一気に走った事による呼吸の乱れを押し殺しながら舟橋は考えた。どうするのがベターか。このおよそ遮蔽物もない公園内で、機動力のある相手から如何に逃げ切るのか・・・。
舟橋は恐る恐る夜気に湿った枯葉の上に膝をつけ、そのまま体を丸めるように蹲った。
動かないのが、一番だ。
数分後、足音が聞こえた。ザクッザクッと砂利を踏みしめる音。決して夜の散歩者ではない。足音は辺りを窺うようにゆっくりと近づいてくる。辺りを窺いたい、相手がどこにいるのか様子を探りたい気持ちを必死で抑えつける。迂闊に頭を出しては却って危険だ。ここは大人しく、植え込みと同化するに限る。
しかし。植え込みとは言っても背が小さく、そして植え込みを突っ切れるように遊歩道が作られている。そこを伊藤誠人が探らないはずがなかったし、恐らく背後からは自分は丸見えだろう。どうする。どうする・・・。
心臓が早鐘のように打ち出した。と、左手前方、少し離れた箇所で何かが駆け出した音がした。右手前方、恐らくは伊藤誠人であろう足音も弾かれたようにその足音を追っていく。
と、悲鳴が聞こえた。篠田だ。
「ふははは、遂に決着をつける時が来たようだな」
朗々と、そして遂に獲物を見つけたのだという歓喜を滲ませた伊藤誠人の声が聞こえる。
篠田が見つかったのだ。そしてどうやら、餌食になった。決着をつける?馬鹿な。見つかったら我々には成す術もない。
恐らくは谷川ももう捕まっているだろう。あとは自分だけだ。
舟橋は一層体を縮め、植え込みと自分を同化させた。
残り、一人。
続く
コメント
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まさか…ぜ、前後編…だと…?
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なんか最初の触りの部分で想像力全開にして読んだら、どうしたんだろう?舟橋君、『野グ〇』の話を赤裸々に告白しちゃうのだろうか?と思ってしまったよ(笑)
隠れていたわけね。
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>小林勇気さん
まさかのww
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>ピコ・ピコリンさん
確かに・・・!
確かにそんな風に思われても仕方がない・・・!!ww