レーベルツアーに際して、最後の追い込み作業。
アルバイト勤務終了後、帰宅、仮眠。日付が変わる前にベッドに横になれば、大抵4時間後には携帯電話のアラームをセットせずとも目を覚ます事が出来る。
起きた瞬間の「え、朝」みたいな混乱は学生時代、試験前に体験して以来か。未だに「試験前夜なのに全然勉強してねえやべえ」とか「試験範囲がわからねえやべえ」みたいな夢を見るのは学生気分が抜けきっていないのか、それとも定期試験が相当嫌だったのか。
で、作業開始。
自宅ではベース練習用のCDプレイヤーにベースをそのままプラグイン、ヘッドフォンで音を聴いている。このCDプレイヤー、曲の一定区間リピート再生からベースのブースト/カット/エンハンス効果、ピッチを落とさずに再生速度を落としたりチューナーを内蔵していたりと非常に便利。勿論CDプレイヤーなのでCDを再生しながら自分のベースの音を一緒に聴けるわけで、耳コピの際等には相当重宝する。
これに自分のベースを突っ込むと自分のベースの素の音が聴けるわけで、基本的にサンズアンプをカマさずにベースを弾く事がない僕にはこれも普段なかなかない経験。
今日はJONNY/i GO用の半音下げの青色SBV(これについて書いてない事に気付いたので今度記録しておこうと思う)を突っ込んで弾いていたのだが、うん、素の音も素敵じゃあないか。
素のラインの音を聴き続けると、エレクトリック・ベースギターのバンド・アンサンブルに於ける所謂一般的かつ落ち着きやすい役割について再認識しつつ、それが適切な場合ならやはりそれが一番落ち着くのだ、と痛感する。
「黙して語らず」ではないけれども必要以上に色々やり過ぎるのは本質からかけ離れてしまうのではないだろうか。色々やり過ぎるのが一番美しい、少なくとも本人含む演奏者達自身がそう思っている場合はそうすべきだ、とも同時に思う。
しかし何だなあ、素の音を聴き続けていると同時にエフェクターへの渇望が沸き起こるのを感じる。素の音の美しさ、何も足さない何も引かない美しさと相反する美しさだと思う。どちらも美しい概念だ。
究極的には音はどうだっていい、テンションが伝わればいい、と思うけれども、ここ最近は新しい挑戦、自分の腕試しとして色々な音色に挑戦している。これとかこれっていうのは、少なくとも数年前の僕には扱いきれなかったものでそれを扱える、バンド・アンサンブルに持ち込めるというのは自分自身の成長(それが例え微々たるものであろうとも)を端的に表す一サンプルであると思う。
なので挑戦意欲に満ちている今、僕はどんどん色々な音色を試して武器を増やしていくべきだと思う。
シンプルな音色で演奏する楽しさと、色々なエフェクトを用いて演奏する楽しさって相互関係にあると考えているし、そんなにかけ離れたものでもない。
何だかんだで休憩を挟みつつ作業していたら日が昇っていた。
それまでしていたヘッドフォンを外すと、室内は電気ストーブとPCの駆動音、そして換気扇の廻る音がしているものの、基本的に静かである。ベースを弾き続けていた事から成る静かな興奮状態を鎮めようと、先日ライブをした際にお客さんで来ていたバンドマンから挨拶代わりに頂いた音源を聴き、それがべらぼうに格好良くて「音楽を聴いてリラックス」どころか「格好良いじゃないか!負けられないじゃないか」みたいになってしまい逆効果。
おい君君、一体いつまでこんな生活を続けるつもりだい?
生活様式は変われども、精神的には無論、死ぬまで。
一生涯、少なくとも精神的には薄汚いバンドマンでありたい、と思っている。
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