先日、戯曲演奏計画というイベントに参加してきた。
このイベントの詳細をフライヤーより抜粋。
「音楽をしている人と演劇をしている人が交流する企画を続けたら、面白い表現が生まれるのでは」
という思いから始まったものです。
「出品者が戯曲を書く」ことと、「音楽を演劇作品の一部 にする」というルールを設け、後者に関しては「BGM・オペラ・ミュージカルはNG」という制約付きです。
音楽と演劇の人たちが、書いて、演出して、奏でます。
これに出品するかしやましげみつ君(孤独部)の作品『浮かんで漂う、』に役者として出演した。
作品についてはかしやま君がこのブログに書いている。終わった後に振り返ってみて僕目線で書くと(あくまで僕目線というか僕が受け取った感じ、ね)「役者を”楽器”として、音楽の中に存在させるように、戯曲を据える」事をやったのではないかと思ったのでした。
よくわからんね。
演劇っていうのは役者がいて演技が在って、そこに音楽が鳴っていてもそれは所謂バックグラウンドミュージック=BGMだったりするわけなんだけれども、今回やったのはむしろ音楽を中心というか、舞台装置(とそれが作りだす光景、雰囲気)を音楽で描き、役者のリーディング(所謂ト書きも実際に演技するのではなく台詞のように発声した)が音楽の中を漂うようにする事でそこに作品が立ち上がってくるような、そんな音楽と戯曲が同列の存在というか二つで一つのような、そんな作品をかしやま君は意図したのだろうなと思います。
「音楽をちゃんと聴くように」「音楽の中をたゆたうように」という演出が印象的。
今回かしやま君が作品の印象そのものを担う音楽での参加をお願いしたのが野呂有我さん。
以前から存在は知っていたのだけど今回初めてしっかりとご一緒出来て、僕ぁ本当に嬉しかったですよ。
有我さん目線の戯曲演奏計画かしやま組に関するレポートは僕のブログなんかよりよっぽどこの日何をやったかのかわかりやすいから、是非ご一読を。
最終的に声にもリバーブをかけたりして、有我さんの音楽と声が一体化して、いやそれ以上に参加メンバー全員の意識がちゃんと同じ方向を向いている感じがあって「お、これは良い感じにイメージが立ち上がってきたんじゃないのかな」だなんて手応えを感じたり、した。
かしやま組の出演はトップバッターだったし昼の部と夜の部と二回公演があったので、結果的にきちんと全作品拝見する事が出来た。
この日ご一緒した方々の中には芸大の音楽科だった方もいらして、やっぱりそういう方が作られる演劇作品っていうのは普段僕が目にする作品とは随分と趣が違うように思えた。
実験的だったり構造からして音楽的だったり、でもどこか静謐な匂いが共通して漂っているのは面白かった。
そして「戯曲を演奏するとは」と考えてみたら随分と面白そうな気がして、是非次は出品をだなんて欲が出てきちゃたよ僕。
素敵な出会いもあったし最初から最後まできっちり、楽しい一日だった「戯曲演奏計画」!
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