手続き等々。

忌引きによる特別休暇最後の一日。
休暇中とはいえ妻は仕事に、娘は保育園に向かうので起床時間は平常運転である。妻を送り出し娘を保育園へ送っていき、娘の担任の先生と顔を合わせたので週末に母が亡くなった事を一応お伝えする。娘はショックこそ受けている様子はなさそうであったが、やはり情緒面では変化があるといけないので、念の為。
娘のお迎え等で母と顔を合わせる機会もあった先生は、母の訃報に驚いていらっしゃった。無理もない、一か月と少し前までは元気に娘のお迎えに来ていたのだ。結構、甘えてしまっていたなと今更反省。
「ご家族もお父さん(娘からみて。つまり僕の事だ)もご無理なさらないでくださいね」。
娘の担任の先生は妻曰くママ友の間で「ちょっと厳しい先生」として名を馳せてしまっているらしいけれども、こういう気遣いの一言とか娘が慕っている様子から「真面目で優しい先生なんだろうな」と僕は思っている。妻も同意見との事だ。
母に、娘のお迎えを当たり前に頼んでいた日々が既に二度と実現し得ないものになっている現実に打ちのめされそうになりながら帰宅。そのまま母の死去通夜告別式とバタバタしていて荒れ放題になっている部屋の中を少しずつ片付ける事にする。
洗濯物も溜まってしまっている。片付けながら母の死去について日記を書く。随分と長い日記になりそうだ。自分が母との別れについて事細かに書き記したくなっている事に気がつき、少し戸惑った。どういった心境なのかわからないが、これもまた悼む気持ちのあらわれであろうか。手を動かす事で喪失感を紛らわせようとしているのか。

昼過ぎになり、実家に向かう。
実家から区役所へ行って手続き等々を済ませる予定になっていた。
地下鉄に乗ろうと歩いていると義母より着信。区役所関係でお仕事してらっしゃる義母から「もし今日一人で動くのならば手伝いにそちらに行くよ」と何とも有難い申し出を頂く。義母にも心配をかけてしまっている。優しい人なのできっと何か出来る事はないか、と心配して下さったのだろう。有難い事にお気持ちだけ頂き、そのまま「喪失感とどう向き合えば良いのか」と話題は発展した。
やはり、時間しかないとの事。それはそうだよな、そんな気はしていた。果たして今回時間の流れ以上に有効なものがあるのだろうかという気もしている。なんだかんだでお話しながら実家の近くまで歩いてしまっていた。コンビニで菓子パンを1つとホットスナックを買い食い。
時間に余裕があれば先日食らったべらぼうに旨いラーメン屋でランチも良かったのだろうけれども、それはまた別の機会に。

実家で兄と父と合流し、千種区役所(仮)へ。
3人で行動する事なんて母が体調を崩すまでなかったので、最近この3人でいると父と兄の会話を聞いていて楽しい。ああ、この2人はこういう会話をしているんだとかこういう距離感なんだとか色々な発見(というか再確認)がある。
兄はONE OK ROCKやPay money To my Pain等の所謂日本のラウドロックが好きなのだが、そういったバンドのライブDVDを車中で流しながら「やっぱり声が父親に似てるな」「この人より弟の方が似てるよ」「へえ、兄弟なんだ」「3人兄弟で次男以外はバンドやってるらしい」「へえ」なんて会話をした。

いざ区役所に到着すると、手続き自体は想像していたよりも遥かに簡単に済んだのであった。
僕と父が年金手帳や介護保険証の手続きをしている間に同時進行で兄が健康保険証の関係で手続きをしたのもあってか、実際区役所には30分もいなかったと思う。想像の3倍くらい迅速に終わったのであった。
帰宅後、実家近くの金融機関で相続の手続き第2弾。

諸々の手続きが終わり、そのまま父が喪中葉書を印刷してくれるというのでデザイン選定をする。
専用ソフトの中から程良い感じのを選んだ。住所面は手書きで書く必要があるな、とちょっとその分量に憂鬱さを感じていたのだが(年賀葉書なら一言メッセージを添えたり楽しみ方もあろうというものだが、何せ今年は喪中である)、父より「去年の葉書を持ってきたら住所を手打ちで入力しておいてやる」と滅茶苦茶有難い申し出を貰う。父も忙しかろうにそんなに負担をかけて良いものか迷っていたのだが、どうやら忙しい方が気持ち的にスッキリするらしい。理解る。遠慮なくお願いする事にした。
諸々の作業が終わり、すっかり落ち着いてしまったので街に出る事にした。実家でゆっくりしても良かったのだが、やはり父といると話題は母の事になりがちで、そうなると嫌が応でも寂しくなるのだった。

行くあてもなければしたい事もない。普段だったら「あれもしようこれもしよう」となるのかもしれないが、何せ落ち込んでいる。往来を歩いていても栄に出ても、行きつけの中古ペダル屋に行こうが「母を失っても世界の時間は滞りなくそのまま流れていく」事にたまらなく寂しくなり、どんどんと周囲において行かれるような気持ちになる。
どうしようもないなあ、折り合いなんかつけられないなあ、と呆然としながら帰宅。
翌日から仕事なのが有難い。何かに打ち込んでいる間は喪失感を紛らわせる事が出来るのだった。