勝手に、そして一方的に(こう言うのも自信がある。先方はまだ僕の事はよく知らぬだろう。ただそれでも彼は僕が信頼するに十分な、誠実な人柄を感じさせてくれた)信頼を抱いているバンドマンのブログを読んでいて、かねてから考えていた「やはり世の中一番の読み物は『面白い』人間の綴る日記や思想である」という思いを強くした。
インターネットの活用時間の半分近く、ともすると半分以上を人の日記を読んでいるのではないかと疑いたくなる程、重度の日記読み、日記中毒者の僕としては食い入るように読みたくなる日記を見つけるとああ、これでしばらくは『日記探し』に明け暮れなくて済む、と安堵するのだ。
無闇やたらにブログを探しまくるのは効率が悪い。そして僕もバンドマンの端くれ、自然と立場、環境が近い人間の中から探すのかバンドマンのブログを閲覧する事が多い。そんなバンドマンによる日記、ブログだが今まで貪るように目を通していた「日記書き」が3人程いる。
4人目になりそうな件のバンドマン氏の日記を読んでいて気付いたのだが、彼らの日記は一様に『内側』に向いている。
前提として公開されている事実は踏まえているのだが、告知を主目的とするでもなく、表現活動の進展具合を日々綴るでもなく、青臭い言い方が許されるのであれば日々を「焼き付ける」ような記述なのである。
下手をうてば対立する人間、立場の人間を生み出しかねない程の直情的なエントリー、一人称小説のような自分の内側に潜り込んだエントリー。
それらが渾然一体となってその日記、ブログに書き手の気配を濃厚に残すのである。モニター越しの書き手の人間性や気配が伝わってくる記述。
こういう日記は大いに感情移入を呼び起こす。
と同時に僕は嫉妬と無念も感じる。僕にはそういう日記はもう書けないので。日々のアクセス数に一喜一憂する、常にブログを『ブログ』として認識している人間には、あれは無理だ。
せいぜい凡庸な僕は非凡な人間が生き様と思想を焼き付けるのを眺めてニヤニヤするのが相応しい。
と言うか、そうでありたいと切に思う。
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