最初の事件

名探偵に、なりたかった。

小学生に通う児童時代から図書館でポプラ社の『少年探偵団』シリーズやらシャーロック・ホームズやら様々な探偵小説を読んでおり、運動音痴故に「自分は頭脳労働派なのだ」と思い込もうとしていた少年時代の僕からすれば、そんな夢を抱くのは半ば必然だったと言えるだろう。
類い希な観察眼と推理力に裏打ちされた名推理を関係者の前で披露し、しかも傲らない。そんな名探偵に僕は憧れたのだった。

しかし世界を股にかける怪盗等存在しなかったし、事件性を感じさせる怪しい連盟に疑念を抱く依頼人は僕の家を訪ねなかった。当然ながら生まれてこの方密室殺人に遭遇した事はおろか、忌々しい風習が今なお影を落とす山あいの村すらお目にかかった事はない。
事件が起きるから名探偵が必要とされ、名探偵が存在するためには事件は間違いなく必要なのだ。陰惨な殺人事件や怪しい噂話がなければ名探偵もただの阿片中毒患者であり、気障な変装狂いであり、フケを撒き散らす吃音癖のある中年男性に過ぎない。推理力を発揮する機会がなければ、彼らは我々と何ら変わらぬ一般人に過ぎないのだ。

果たして僕の人生に事件は起きなかった。事件らしい事件はあれど、それらは日常の枠を出る事もなく探偵術も推理力も必要とされなかった。された試しは一度たりともなかったし恐らく今後もないだろう。
だから今日僕が今から書くのはせいぜいがそんな『日常的な』事件に過ぎない。名探偵に憧れた読者愛好家が回りくどい言い回しや不必要に扇情的な表現を用いて、如何にしてそれを『事件』にすげ替えるのかと、まあそういうエントリーなのだ。

中学校時代の僕はと言えば根っからのインドア嗜好で、持ち前の日陰者精神をいかんなく発揮して自分の世界に閉じこもっていた。アニメーションや漫画、推理小説や連続猟奇殺人犯の記録、サイコ・ホラーにサスペンス、刑事ドラマ。おおよそ僕のような男子中学生が嗜好する類の娯楽に僕は耽溺し、友人達も同好の士ばかりで、一般的に言えばそんな僕達は「オタク」だった。
世間とうまく折り合いをつけれない人間にしてみれば自分の世界を確立さえしてしまえばそこは楽園たり得る。
楽園の住人との日々の語らいや意見交換は無条件で楽しかった。専ら2人の人間との交流を主なものとしていた僕は彼らとの友情(今思えばそれは酷く不器用ではあった)を信じて疑わなかったし、今でも当時の僕らは誠実であったと信仰している。
しかしその2人が、揃いも揃って触法行為に手を染めると誰が予想しただろう。

中学三年当時、僕はクラスの卒業文集の編集を担当していた。クラスのリーダー格の男子生徒から依頼されたその役割に僕は没頭していたし、素晴らしい文集を作り上げる事が彼のカリスマ性にあやかる方法だと心得てもいた。お互いの敷居を跨ぎ合い、僕達の間には友情も存在していたし、それが僕の原動力になっていた。

その日も僕と編集委員数名は僕の部屋で文集編集に余念がなかった。作業ははかどり、僕達は完成へと着実にむかっている作業に集中していた。
と、自宅のインターホンが鳴らされた。誰かが自宅を訪ねてきたらしい。編集委員は全員揃って作業に従事しており、玄関口から階段を昇った場所に位置する僕の部屋には母親の声が聞こえてくるばかりだ。
程なくして母親は僕を呼び、僕は何事かと階段を降りていった。玄関には制服にその身をかためた警察官が二人立っており、彼らは僕を見るなり「ああ、違うわ」と何か納得したような素振りを見せた。
母親と共に事情を聞く。

警察官が話した概要はこうだ。僕の通う中学校からそう離れていないコンビニエンスストアから「中学生の万引き犯をひっとらえた。名前も何も言わずだんまりを決め込んでいるので来て欲しい」と通報があり、警察官らがコンビニエンスストアに向かったところ果たして中学生とおぼしき少年が捕らえられ、うなだれていた。
賊は名前をなかなか言わなかったがついに観念したのか自らの名前を名乗った。
「フナハシタカヒロ」と。
その「フナハシタカヒロ」氏は住所を尋ねられても要領を得ず、親の名前も口ごもっている。地図を渡すと一点を指したので確認と親御さんへの注意がてらその家に来た、とそういうわけらしい。

コンビニエンスストアで捕らえられた「フナハシタカヒロ」は名を名乗り住所も打ち明けたので解放されたそうなのだが、「フナハシタカヒロ」と本人である僕の顔が全く違うという事で警察官らは自らの疑念、すなわち「フナハシタカヒロ」は他人の名をかたっているのではないかという旨を確信したというわけである。
あわや真犯人はこのまま雲隠れか、と思われたが七割の好奇心と二割の功名心、そして一割の正義感が僕を動かした。
僕は「フナハシタカヒロ」の詳しい容姿と取り調べ(という程大袈裟なものでもなかったろうが)の様子、「フナハシタカヒロ」が何を盗んだのか警察官らに尋ねた。
彼らは必要以上の事を言わぬよう僕に情報を教えてくれた。

結果、僕の脳裏に一人の男、普段僕とアニメーションやら何やらで親睦を深めている同級生の顔が浮かんだ。彼はコンビニエンスストアの近くに住んでおり、容姿も見事に当てはまる。
母もどうやら同じ結論に至ったらしかった。
念のため、と警察官らに尋ねられた僕は小学校の卒業アルバムから彼の住所を調べてそれを二人に伝えた。僕達の勘違いである可能性も非常に高いので、ゆめゆめ留意して頂きたいと伝えると僕は文集の編集作業に戻った。

「フナハシタカヒロ」が菓子折りを携えた母親と謝罪に来たのは数時間後の事だ。僕はただただ疑問に思っていた事を尋ねた。

「どうして、盗んだりしたんだ」
彼は答えた。
「…明日アニメグッズを買いに行く予定だったから金を使いたくなかった」

彼が盗んだのは、俗に言うところの『エロ本』だった。

これが僕の人生最初の『事件』。オチとして追記しておくと、その夜彼から電話がかかってきた。
「…俺達まだ、友達だよな…?」
僕は曖昧に言葉を濁すと、受話器を置いた。

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