こんな風に一日に何度もブログを更新するのは、脳というか精神が興奮している証拠だ。
睡眠時間が不足気味になると、無気力、倦怠感、そして体のだるさに襲われるかわりにその分活発になって補おうとでもいうのか、脳内活動が活発になる。で、こうやってまたブログを書いてしまう。
睡眠への渇望はあれど、この状態は嫌いではない。えてして僕の表現、自己顕示はこうした時に相応に面白い形となって顕在化する故に。
正直に打ち明けると、物凄く「東京」という都市に対してコンプレックスを抱いている。ライブの際は「頭が狂うと書いて『頭狂』ですね」等と誰かさんの言葉を借りて嘯いてみせるし、名古屋という街を僕はこよなく愛しているけれども(それであるが故に)僕は東京に対して言い知れない憧れを胸に秘めている。
それは漠然とした街、空間への憧れではなくむしろそれよりかは『人』への憧れだ。
東京にはあんな人やこんな人がおり、そしてあんな日々やこんな日々を送っている。
面白い人が名古屋や身近にいないわけでは決してないのだ。ただ東京の友人/知人達の日常をインターネットを通じて(ここでもまた『インターネット』だ。最近の僕はインターネットに好き好んで振り回されている)覗き見していると、そんな彼らの日常や人となりが「隣の芝生は青く見える」状態で羨ましく感じるのだ。
彼らと時間を共にしたい、ではない。根本的にこんな発想を抱く事さえ叶わなかった(共感はできれども全く同じ感覚を味わうのは他人である段階で無理だ)彼ら自身に僕は言いようのない憧れを感じるのである。
僕は自分が恵まれた人間だと自覚している。僕の周りには突拍子もない事を実現し得る行動力のある人間もいれば、僕という人間に興味を持って共に何かを成し遂げようと画策できる共犯者もいる。
けれども、そんな僕でさえ彼ら自身、彼らの日常への羨望は抑えきれない。
これはあれだな、完全に他人自身の人生を追体験してみたいという自分の現状に不満がないが故の欲張り意識なのかもしれない。
だから僕は「上京しよう!」とか現状では全く考えていないし、東京の友人に「もっと仲良くしてくれ」なんて恨めしく言ったりもしない(僕は彼らから十分に刺激を貰っているが故に。願わくばお互いそうであらん事を)。僕はこの東京へのコンプレックス、究極的には他人への羨望、どうという事もない隣人、見知らぬ彼女、どこかで笑っているあいつ、そんな連中の人生を僕も味わってみたいという欲求、そしてそれが叶えられる事がないが故に湧き起こってくる「嗚呼、僕は味わえない」というコンプレックスを自分の中で玩んで生きていこうと思うのだ。
どうだ、羨ましいだろう。
いかん、いかんなあ。どうも興奮すると論旨がずれる傾向があるんだ、僕は。
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