昨年の12月に亡くなった母の四十九日が行われた。
開始は11時との事だったので9時半頃、実家に行く。父、兄の世帯と我が世帯、そして母の弟の叔父一家に父の妹の叔母一家と合計20名参加、実家で執り行うとなるとソファを動かしたりとそれなりに準備がいるだろうと気を回しての事だったのだが、到着すると既に気が急いたのか父が準備を済ませていた。
手が空いた僕は母が加入していたがん保険の請求書を仕上げる事にした。入院中に母と交わした最後の会話で母がようやく聞き取れる声で「がん保険(の関係、諸々頼むぞ)」と僕に伝えたので、これはいわば母の遺言のようなものだ。
それにしても。それにしても腹が立つのはこうして請求書一式揃えるまでの間に紆余曲折とまではいわずともシンプルに手続きが進まなかった事だ。病院に診断書の作成を依頼、3週間程時間を空けて出来上がったと電話を貰ったので時間外窓口に受け取りに行ったら母が受けていたはずの抗がん剤の記録が診断書に記載がない。時間外窓口の職員さんが診療記録を確認して下さったのだが確かに記録には残っており、再度作成して自宅に郵送して下さる事となった。時間外窓口の職員さんの応対は真摯なもので別段腹も立てていないが、診断書に記名と押印のあった担当医には母の入院中から正直良い印象がなかったので(物腰こそ柔らかいがいつもネガティヴな事ばかり言うしいざという時の責任逃れの発言が大変目立った。父も兄も先生の話を訊くとナーバスな気持ちになるようだった)、診断書作成は文書課の人の仕事なのかもしれないが「いやお前さん印鑑押すならちゃんと責任持った仕事してくれよ」と八つ当たりしたくもなるのだった。
そういった諸々もようやくこの日、終わったのだった。一つ一つ母に関する手続きが終わっていくのは、一つ一つ荷物を降ろしていくようで何故か寂しい気持ちになるのだった。父が保険金を受け取れるのは良い事なのだろうけれども。
お寺さんがいらっしゃってお経を上げて下さり、20人はそれぞれ足を崩したり無理のない姿勢で手を合わせる。
数分後、ふと振り返ると娘は思いっきり横になって眠っていた。妙に微笑ましい気持ちになるのだった。
それにしても、母が亡くなって以降、様々な瞬間で親戚の縁や絆を感じる瞬間が多い。
母と叔父さんは仲の良い姉と弟であったので叔父さんの心中が心配だったのだが、叔母さん曰くやはり気持ちが不安定になっているとの事。母の入院中から叔父さんと叔母さんとのやりとりは僕が担当のようになっていた。折角のご縁だ、母が亡くなったから疎遠になってしまうのはあまりに寂しい。叔父さんの世帯にも僕は可愛がって貰ってきたので、恩返しもしたい。落ち着いたタイミングでまた顔を出そうと思った。
四十九日の法要を終え、近所の鰻屋さんに移動してお斎(おとき、というそうだ。四十九日の法要後の食事の事)。
個室は人数的に全員入れなかったので、僕は妻と娘と甥と4人でテーブル席。コース料理が頼んであったのだが、鰻を食べた事のない娘は当日食べられそうなものを、という事で卵焼きとつくねとご飯を頼んだ。あとはコース料理の刺身を嬉しそうに食べていた。
鰻は変に重たくもなく大変美味かった。あんな鰻はなかなか食べられない。
それにしても、こうして一族が集まっての食事に母がいないのは、やはり未だに慣れないのだった。
法要後は家に戻り、お茶をして過ごす。総勢約20名なので賑やかだ。
夕方には解散となり、そのまま父と兄一家と僕、妻、娘の8人で近所の中華料理屋へ。四十九日の法要後の食事がなんだかんだで14時過ぎまで食べており、かつ結構な量があったもんだから馴染の中華料理屋の並盛でも大盛の料理には苦心した。美味かったけど。ダイエットもこういう日に気にするのは野暮ってものだ。
帰宅して、娘の寝かしつけ後は義姉から教えて貰ったばかりのマッサージ屋さんへ。マッサージが好きで結構行くのだが(新しくチェーン展開している店舗に行って感動したばかりだ)、義姉と夕方お茶を飲みながら話していたらお薦めの店があると教えてくれたのだ。
中国出身の王先生が全身もみほぐしと足つぼマッサージをやってくれる店なのだが、大変評判が良く予約がなかなか取れないとの事。深夜の時間帯だったので偶然予約が出来、早速行ってみた。
王先生、義姉も絶賛だったのだが成程、触り方がこれまでのチェーン展開しているマッサージ屋さんの施術師さん達とはそもそも違う。人体の構造知ってますよ、という手つきなのだ。僕も横になりながら(あれッ!こんなところギョリギョリいうの!?)とか(ここにツボってあるんだうっわー!)と静かに興奮しながら施術を受けた。終わった後の身体の軽さから、そりゃ人気店になるはずだよと納得。王先生も親切で良い人だった。40分コースなのに気がつけば60分近くやって下さっていたのだった。こりゃまた行って王先生のお世話にならなければ。