漫画喫茶のブースより愛を込めて。

僕とて年頃の男子なので性欲もあるし恋愛もしたい。誰かに認められたいし全肯定されたいわけである。精神の根底部分で繋がっている実感を得て充足感を得たいし、体で繋がってたりいやその、なんだ、失礼。

頭の中がモヤモヤするので、何となしに、時間を無為に過ごそうと思った。結果何か得るでもなく、何も感じず頭の中をスッカラカンに過ごそうと思ってうちを出た。
母檸檬というバンドの素敵な曲を聴きながら夜道を歩く。深夜というだけあって誰ともすれ違わない。母檸檬の曲は一緒に歌うような曲ではないのでその分歩くのに集中しつつ、「気が違う」だったか「気が狂っちまう」か(今となっては定かではないのだが)そんなような一節がやたらと印象深い。

漫画喫茶で東京に行った時から幾度にも分けて読んでいるホラー漫画を手に取る。てっきり自分は最新刊まで読んでいると思っていたのだけど、どうやら4冊分読んでいなかったらしい。別段精神的に刺激されるような漫画でない分、刺激されない事に刺激される。ううう、なんだか生活臭がぷんぷんする。隣のブースからは男性のいびき声が定期的に聴こえてくるし、本棚の前ですれ違う女性は何だか凄く違和感のあるオーラを身にまとっている。服装も表情も「深夜の漫画喫茶にいそうな人」であるのだけれどどこか目がおかしい。いや失礼。

で、前から読んでみたいと思っていた漫画を探そうと本棚を一つ一つ丁寧に慎重に覗き込んでみたのだけど見つからない。そのうち手塚治虫「ブラック・ジャック」を見つけた。中学校時代、図書館にはこの手の漫画があって放課後のお楽しみになっていた。読んだなあ「ブラック・ジャック」。僕はブラック・ジャックのニヒリストで現実的で、真の意味でヒューマニストなところが好きだ。そして人間臭くて弱いところも好んでいる。彼は本当の意味でリアリストである。

コーンスープと煙草を摂りながら黙々と「ブラック・ジャック」を読み耽る。3冊持ってきた中の2冊を読み終えた頃、疲れを感じて店を出る。800円で買える時間。恋愛や人間関係に対する焦燥や妬みを800円で紛らわせれるなら安いものだ。

だが自宅へ向かって歩きながらこの憧れだけで生きる男は気づくのである。
無為に過ごすという時間は達せられなかった、と。

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