硬いスルメを齧りながらコンピュータに向かう。

日記を日々こうして書いていて痛感するのは、僕の毎日というのは生活臭にまみれている。前回の公演で各務鉄平が自身の長台詞で彼自身の判断により採用した「僕の毎日は食って働いて食って働いての繰り返しだ」という一節があったけれど、僕の毎日からバンド活動をとっぱらったら一体何が残るのだろうか。

そもそも日々感じた事や頭の中に思いついた素敵な発想を具現化するための音楽表現や芸術表現であって、手段が目的なのではない。本質的にはそう在りたいと思っているし(逆をかえせばそう在りたいと思っている段階でそうでは無いという事だ)、結果的にそういった表現物が人の心の琴線に触れるのではないかと思っている。

最近の僕ときたら、自分やバンドのスケジュール管理や作業を進行させる事にかかりきりでこういう事に頭を悩ませる事すらなかったのかもしれない。
音楽という部分では楽器に触っていたりその曲に応じてメンバー内からのイメージを投げかけられて弾く事が多いので支障はないし、こらからも恐らくないだろうけれどもとかく脚本になってくるとそうもいかなくなってくる。

今年に入ってからの公演形式、脚本の原案はほとんど山田康裕である。
去年までは色々と影響を受けたり日々感じた事を「面白い!」と自分自身興奮する事ができたのだが、最近ときたら何か浮かんできたら(それ自体が少ないのだが)まずは現実的にそれが実現可能か考えてしまう癖がついている。時間内に、予算内に、現実的にその着想は実現し得るか。メンバー内でのプレゼンテーションに出す以前にその脚本、発想自体をふるいにかけてしまい結局何も残りはしないのだ。
幸いにも山田康裕が今年に入ってから面白い原案を持ってくるようになったので、僕は純粋に構成に携わればいいだけで、それというのは感覚を共有して作り上げていくバンドでの演奏、作曲という行為とは何も違わない。
投げてになれていない現状。

何が原因かと言われると些細な問題だろう。
単純に出す気になっていないだけかもしれないし、出す程精神的に活発な状態ではないのかもしれない。それとも他人の発想を受け、咀嚼して表現するというプロセスにしか興味を感じなくなったのか。
いずれにせよ危機感らしい危機感は抱いてはいない。それというのもいずれ、という予感はあるしこういう時期があってもいいのじゃあないかと思っているからだ。

当面抱える案件としては、この僕という人間からあまりにも生活臭が漂い過ぎるが故に、僕自身が理想とするフィクションっぽい人間からどんどんかけ離れてしまっているというコンプレックスくらいだろう。叶わないであろうという予感がありながらもその理想に向かって邁進する事こそが、こういう斜に構えた、気取った日記を書く秘訣である。

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