母の四十九日で母の弟である叔父夫妻にあった際に「おばあちゃん(母方の祖母)にも良かったら会いに来てね」と声をかけて貰った。
母が入院する前に「おばあちゃんのお見舞いに行こうね」と予定を合わせたものの、病院内でコロナ感染があったとかで面会が出来ず、結局そのまま母が入院する事になりまだ祖母のお見舞いに行けていないのであった。こういうのは話が出てその気になった時が一番良いタイミングだ。すかさず叔父に連絡をして祖母のお見舞いに行く事となった。
JR勝川駅まで叔父が車で迎えに来てくれる事になっていたので、JR千種駅から電車で向かったのだけれども僅か10分程で到着。凄いな早いな公共交通機関。
車の中では祖母の近況や、やはり母の話になる。仲の良い姉弟だったので、母が亡くなって叔父は相当落ち込んでいると聞いていたが話している分には幾分か落ち着いているように思えた。けれども身内を亡くした悲しさは簡単に癒えるものではない。きっと叔父も僕も姉(母)を失った喪失感と時間をかけて向き合っていかなければならないのだろう。
車で15分は走っただろうか、祖母が入院するリハビリ病院は静かな場所にあった。
久しぶりの祖母と。祖母が痩せたとはいえ、こうしてみると僕は本当に顔がデカい。
「記憶があやふやな時がたまにある」と聞いていたものの、病室に入った僕を見て祖母はすぐに僕とわかったようだった。
でもどうも話していて僕が学生だと思っていたようだったけれども。「もうすぐ40歳なんだよ」と話したら驚いて「でもまあ孝裕は昔から変わらないね」と言われた。悪い気はしない。
祖母は、娘である僕の母が亡くなった事を知らない。皆で「知らせない方が良いだろう」と話をしてそう決めたのだ。
この日も、もし母について訊かれたら骨折して入院している事にしようと叔父と話をしていた。僕の顔を見て母の事を思い出すのは極めて自然、というか連想しない方が不自然だと思われたが、察しているわけではないだろうけれども祖母は母については触れなかった。僕も嘘をつかずに済んだ。この場合祖母につく嘘は悪い事ではないと思うけれども、まだ母が生きて元気にやっていると話す事について僕が動揺しないはずがないからだ。
感染症対策で一度の面会は10分と決まっている。話していると10分なんてあっという間だった。
こうして叔父に会い、祖母のお見舞いに行くとやはり僕は母の息子なのだと感じる。当たり前だけど母という存在があっての親戚なのだ。一人は母の母親で、もう一人は母の弟なのだ。僕が知らない母も知っている人達である。
今後も色々話をしたいと思った。
夕方は僕の実家に。節分という事で近所の持ち帰り寿司屋さんで頼んでおいた恵方巻を恵方を向いて食べた。
この日は妻と娘と熱田イオンに買い物に行く予定であった。夕食が早く終わったのでどうしようか思案していると、父親もまんざらでもなさそうだったので誘った。「家にいてボーッとしててもしょうがないしな」と皆で一緒にイオンに行く事になった。
母が存命だった頃には考えられなかった事である。僕が父の心配をしている事を察して気を遣ったのか、それとも心境の変化なのか。良い事だと思う。
イオンのフードコートで皆でアイスクリームを食べたり、マックスバリューで買い物をしたりした。父親も徐々に一人の生活のペースを作っていっているようだった。母の不在が、やはり寂しいしまだ慣れないなあ。