2歳になる娘は話に聞いていた「子ども」よりも随分と手がかからないというか、想像していたよりもものを口に入れたりしないし想定外の行動もしないし夜泣きもそんなにしないし(最近怖い夢を見るのかたまにするけどそんな時にしがみついてくる娘の愛しさもまた別格である)、妻とも話をしているのだが娘が僕達父親母親に対して世話をかける事って本当になくて「娘ちゃん本当に有難う、天才!」と思うのだけどそれでもやっぱり目が離せないもんだから、当然のように週末に好き勝手に過ごすわけにもいかなくなった。
娘が起きる時間が起床時間だし娘のご飯の時間も気を配ったり、出掛けるタイミングも娘の準備をしてからだからプラスαの時間を計算して動かねばならない。世の中の父親母親は当然のようにこれをしているわけだしこれが親として嬉しさを感じる営みでもあるわけなのだが、単純に自室に篭って楽器を弾くとか、そういう自分自身の時間は娘が眠ってからになる。
起こさないように気をつけてピッキングも幾分か加減(つい楽しくなっていつも通りガンガンやっちまう事も少なくはないのだが)して、だけどさ勿論ね。
先日、鍼灸の往診で拙宅に往診に来て下さった三浦はりきゅうの三浦先生(演奏家でもあり、インド音楽の演奏活動もしている先生の治療は大変リラックス出来、かつ楽しい時間だった。インド音楽に興味津々!)ともお話していたのだけど、結婚や出産は音楽活動を辞めるきっかけとなり得る。事実僕くらいの年齢(気がつけばもう30代も半分以上過ぎた)になると音楽活動を続けている人間の方が少ない。気分はもうすっかり「生き残り」であるけれど、僕が今もこうして活動を続けられるのはひとえに妻と娘の理解、そして一緒に演奏する人達の理解、そして環境の変化を受け止めつつ試行錯誤するという行為が内包した面白さ故、だろう。
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