16時半。
舟橋孝裕は新栄CLUB ROCK’N’ROLLの楽屋で落ち込んでいた。
自分に一体何が出来るのか、何も出来やしないのではないか、と。
時間は少し遡る。
今日は新栄CLUB ROCK’N’ROLLにてドン・マツオさんバンドに参加。3月以来実に半年ぶりである。
たった一度きりの貴重な機会、かと思いきや突然ドンさんから直接連絡を頂いたのが確か6月頃。隊長=ドンさんからあの日の四日市メンバー再集合の号令を頂いて、小池さん十三さんそしてドンさんと再度演奏する事になった。
十三さんと小池さん。
二人ともナイスガイだしこうして見るととてもフォトジェニックである。
「前回良い感じだったから大丈夫じゃわい」とか「俺もそれなりにバンドやってきてるんだからどうにかなるだろ」みたいな慢心があったわけでは決してない、断じてない。が、限られたリハーサルの時間でドンさんの欲しいニュアンスを自分の中で見つけるまで時間がかかってしまった事も事実で、あとは「こんなん本番でしたらたまらんぞ」って演奏を、ちょっと、した。
ドンさんも優しい人だから激怒するなんて事はなくて楽屋で練習モードになっていた僕に「大丈夫だぜはっちゃん!気楽にいこうぜ、俺に任せとけ!」と声をかけて下さった(ちなみにその後十三さんと一緒にドンさんと音楽の話をしたり、海外ツアーの話を聴いたり。落ち込みつつも、充実した時間だった!)のだけれども。
悔しくて悔しくて。
だけれども演奏を控えた今、こういうのがとても「有意義でない事」である事もわかっていてね(無駄ではない事、とイコールではない、この表現は)、どうにかして奮起するしかねえな、と。
17時50分、舟橋孝裕は奮起した。
何が出来るかなんてのは決まっている。演れるだけの事をクリエイティビティに則って演るだけだ。
ああ、演れる。つまらない自己否定なんてとりあえず本番で最低の演奏をしたら、にとっておこう。どちらにしても時間は流れる、そして演奏は始まる。演奏が始まれば音楽に向かって突き進むのみ。演ろう、演れる。
とこう書けば格好良いしドラマティックなのだろうけれども、シンプルに言ってしまえば時間の経過とともに前向きになり、演奏の時間が近づいてきて楽しみの方が勝ってきたというだけだ。とってもシンプルな理由だね。シンプルだからこそそこに忠実になれたのかもしれないけれど。
演奏前、楽屋で皆で集まる。興奮と緊張感と期待が部屋に満ちているように感じられた。
「さあ演ろうぜ!」
隊長の号令で楽器を抱えてステージに向かう。
...演奏中は、兎に角一心不乱だった。途中で「あ、物凄い汗かいてるな」と思った以外は兎に角演奏行為に没頭した。どこか想像もしなかった演奏に到達出来た気がしてからは、音楽が血肉を伴った生き物のように感じられる瞬間もありさえした。あれがバンドマジックなのか?大袈裟か?いやいや。
演奏を終えて思わず口をついて出た第一声は「いやあ頭の中で何かがドッパドッパと出ましたね!」だった。
演奏の感想はこの一言に集約されている気がする。
忘れないように演奏での気づきの備忘録:
「ソフトなピッキングは表現力という意味でも常日頃から心掛けるように。幅というのはそのまま表現力に直結し得る」
「力んで弾くフレーズ、力まずに弾くフレーズ、音色もそうだがリズムにも影響を与えている」
「僕って人間はベースギターの可能性を信じているにも関わらず、無自覚に役割を限定しがちだから気を付けるように」
「人っていうのは駒じゃないんよ、一つの人格を持った人間なんだね。だからこうやる、というのが正しいとかではなくて今日の四人での演奏はあれだね、あれしかなかったしあれが最高だった!」
ああ、俺の煩悶も悔しさも、そして奮起も全てが全て正しかった!
またしても船頭ドンさんに凄い所に連れて行って貰っちゃった。
高橋さん(The Everything Breaks)との再会もこの日楽しみにしていた事の一つである。
高橋さんとはBUGY CRAXONのサポートで来名、大丸をご一緒して以来だったので実に3年ぶり。リハーサル終わるなり高橋さんの方から声をかけて下さって舟橋感激。
大丸はもうなくなってしまったけれども大丸が繋いでくれた縁はこうして今も生き続けるのであった。
高橋さん、大丸の話だけじゃなくてゾンビ映画の話(高橋さんは雑誌で特集記事を組まれるくらいゾンビ映画に造詣が深い。というかゾンビ映画にバンドで曲を提供されたりしている。凄いや凄過ぎます高橋師匠...!)も出来て本当に嬉しかった。
3年経っても相変わらず優しい素敵な先輩でした。ドラムは、凄まじかったけど。やっぱりそこも先輩、健在。
ドンさんも、高橋さんも、早くまたお会いしたいです。
高橋先輩と。
「あー、なんかモテない男二人って感じになっちゃったねえ(笑)」
「話した内容も、大丸とかゾンビ映画ですしね(笑)」
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