続・文章から滲み出る人間性

以前、「文章というのは人間性が出る」云々という話を書いたと思う。今なおその思想は変わっていないし、むしろあの後沢山の文章を読んでその認識を強くしたものである。

痛々しい人間は痛々しい文章を書くし、優しい人間は優しい文章を書くのだ。

非常に積極的、むしろ攻撃的な意味合いすら含めた上で僕は断じよう。痛々しい文章を書くこの僕も痛々しい人間である、と。自己否定や自己嫌悪に駆られたわけではない。そんな事は高校時代にやり尽くしたし、何らメリットはないと気付いた。自分の「程度」を知る事によって僕はそれ以前より能動的に、積極的になる事が出来るのである。

それはつまりそう、諦め等の感情とは異なるもので、そういう自分を積極的に「活用」していこうという話だ。

僕には人に出来る事が出来ず、人のように他人をいたわる事等出来やしない。というかしたくない。しかして僕には人に出来ない事が出来るのだ。

さてさて煙にまくような、何だかわけのわからないこのblog。だけれど決して悪意に満ちたものではないよ。人を不愉快にする文章は書いた方も後味悪いものだからね。では何か。

今後をお楽しみに!

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