夜中に発作的に得体の知れない衝動に駆られる事って、ないかね。
ないか。
だが僕はある。しかも結構、ある。ありがちなところでいえば「試験前に突然部屋を大掃除する」は当然のように経験したし、大学受験に失敗した時は「部屋中を新聞紙で覆う(しかもクローゼットは開閉可能なように)」とかやっちゃったしそういう静かに燃え滾る薄暗い黒歴史を感じられないものでいえば突然「恋愛映画だ」と胸を熱くしたり「ダブステップを研究しよう」とベースにエフェクターかけてダブステップに挑戦してみたりする。最後の奴は何が始末に負えないって馬鹿高いエフェクターを買ってしまうところだ。
短いものは数時間、長いものは数日かけてこの衝動は燃焼する。憑き物が落ちたように「沈静化する」のだ。
大体からして僕の場合、続くものといったら映画鑑賞とか読書とか表現活動の他にはこのブログくらいしかありゃしない。元来が飽き性なのだ。
さて、今夜、僕は突然「エフェクターの塗装を剥いでみよう」と思い立った。
思い立ったが最後、やってみないではいられなくなった。工具を手にBOSS TU-2をバラバラにし、ヤスリとガワだけになったTU-2を
持って近所の公園へ。薄暗がりの中、塗装の粉を飛ばしながらシュッシュシュッシュと塗装を剥いだ。
手が疲れるし、寒いといけないので厚着をしてマスクまでしていた。傍から見れば完全に変質者である。
塗装を剥ぎながら僕は「これは良いぞ、格好良いTU-2が出来上がるに違いない」とニヤニヤしていた。
BOSS TU-2はエフェクターを何個か買った頃に購入したペダルタイプのチューナーである。これを手に入れてからというものずっと、あ、数週間はKORGのに浮気したんだっけかな、兎も角、僕はチューニングのほとんどをこれでしてきた。ずっと壊れない。物凄く頑丈だ。だけれども特に愛着らしい愛着を意識した事はない。それくらい当たり前に踏んでいる。こいつはいつも律儀に僕のベースギターの調弦の手伝いをしてくれた。
塗装も剥げてきたTU-2もこれで心機一転出来るだろう。時折公園のトイレの手洗いで剥げた塗装の粉末を洗い流しながら、兎に角ヤスリを奮った。
帰宅し、組み直す。
一ヶ所だけはんだごてを使わねばバラバラに出来ない箇所があったので、久しぶりのはんだごて作業に内心ビクビクしながら作業を終える。よくよく考えたら音が元通り出る自信なんて、全然ない。まあブッ壊れたらその時はその時だ、くらいの気持ちである。
元通り組み直し終え、アダプターを繋ぎスイッチをオンにする。
どうやら、元通りだ。反応している。
...完全に元通りではなかった。OUTPUTとBYPASS OUTの位置が入れ替わってしまっている。ジャックを取り付ける際に適当にやったのがいけなかった、場所を間違えたのだ。オンにした際にミュートされるアウトプットとそのまま音が出るアウトプットの位置が入れ替わってしまった。
ま、いいかとすぐに割り切った。それくらいのもんである。
見た目は地味な変化しかなかった。想像していたものはもっと格好良かった。「TU-2の見た目を無骨にしよう」計画は成功したものの想像していたよりも成果は地味だったのだ。
だけれども僕は満足だ。不思議な満足感がある。愛着も確かに増した気がする。ほんの少しだけれども。
思うに「自分が何か手を加えた」という自己満足が良いスパイスになっているのだろう。多分チューニングする際、10回に一度はマスクをして汗をかきながら塗装を削った夜の公園を思い出すのではないだろうか。
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