仕事ではつまづいたけれども(どうにか事無きを得ますように!)、表現活動では大いに手応えを感じた一日だった。
白線の内側でスタジオ練習。「曲を憶える事が苦手」な人と「毎回違った演奏をしたい」人と「キッチリやりたい」人という演奏陣3人にポエトリーリーディングの樫山君の4人で曲を練り上げていくわけだからこれは面白いくらいに齟齬が起きる。
「あれ、前こうやってたのにな」「あれ、どんな曲だったかな」「あれ、ついてこないのかな」みたいに演奏陣の中だけでも微妙な齟齬が積み重なっていくわけなのだけれども、これがまた大変面白いのだ。
うん、率直に言ってしまえば「曲を憶える事が苦手」なのが金森君で「毎回違う演奏をする」のがいちろー君で「キッチリやりがたる」のが僕なのである。
別に演奏自体がマズいわけではないので(むしろ皆語彙力が凄い、と思う。毎回それぞれのバックグラウンドと練習と練習の間にそれぞれが得たものを披露しあって切磋琢磨している感じはある)そこにネガティヴな感情が生まれるわけではないのだけれども、曲を思い出すまでの間の金森君は前回と違ったフィルやリズムパターンを繰り出してくるし実験精神が旺盛ないちろー君は持てる技量と知識を総動員して違った試みを演奏に盛り込んでくる。で、バンドアンサンブルを練り上げたいな、強靭なものにしたいなという思いがある僕は二人に向かって「もう!何なんだよ!」と言うわけだ。さて、この場合健全なのは誰でしょう?バンドアンサンブルの発展に寄与し得るのは?表現力の更なる高みを目指す上で指標となるのは一体誰でしょう?
僕が思うに、3人とも、なのだ。
入口こそ違えど結果的に「毎回その時その時の演奏をしている」金森君といちろー君の演奏というのは「演奏行為は再現ではない」という僕の信条に合致するものなのだ。だけれども回数を重ねる事、いわばバンドアンサンブルでの筋肉トレーニングをしようとする僕の発想も間違っているとは言えない。そういう僕がいる事で二人は5回に一回は「前回を意識した」演奏をするかもしれない。
実際のところ、本日のスタジオではそんな二人の演奏がきっかけとなって新曲が生まれたわけなのである。
嗚呼、音楽って面白い。
良い曲の片鱗を見つけると30代ももうすぐである3人+32歳の男の総勢4人も少年のようになってしまう。こうすると格好良いんじゃないか、ではこういうのはどうだ、これは最高だね、これ良いねと完全に子供時代に秘密基地をどうするか、で盛り上がった少年の気持ちに戻ってしまう。こういうのがバンドは面白い。
全く違う4人が一緒に何かを作ろうとする事の面白味というのをタップリと味わった。バンド活動っていうのはきっと、ずっと発見と気付きと面白さの再確認の連続なのだろうな。
健全な流れはまだ続く。
樫山君にクリップライトと調光機とフットスイッチを借りた。どれも彼が一人芝居で、或いは彼の演劇作品中でライブ中で、使用してきたものである。今月末に控えている四日市ドレミファといろはでの一人芝居に向けて夜な夜な練っているわけだけれども、それに際して彼のこの3点セットを使ってみたいと思ってお借りしたわけなのだが、いやこれが滅茶苦茶面白い。
灯りっていうのはかくも面白いものか、刺激的なものなのかと感じ入った次第である。光と影ってだけでこんなに楽しむ事が出来るんだね人間。
今はちょっと酔っ払っておりますね、上機嫌でね。
先日手に入れたファズを今日のスタジオ練習に引き続き、慣れ親しむために鳴らして寝るとします。
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