過剰書きで迫る日記

乱暴な方法論だけれども、箇条書きっていうのをこのブログでもする。
どうやったって一つのテーマにまとめられない事っていうのはあるわけで(まとめてもいいんだけどそこに気を配るのが不健全な気がするっていうか)、そういう時は箇条書きにする。
会話に於ける「それでね、あとね」みたいなものだと思って頂ければ。
小出しにしてけばいいじゃん、とも思うのだけど基本的に日記形式のこのブログ、憶えているうちに書いておかないとどんどんどんどん新しく書きたい事が出てきちゃったりすると困るものね、時間は絶対に過ぎるのだから。
だから何ていうんだろう、まとめられないけれども書いておきたい、そんな過剰な前のめりな姿勢で書きますのでね、「過剰書き」とでもしましょうかね。

・再び、歯が痛みだした。
先々月くらいから職場の真上の歯医者に通っているのだけど、ここがとても良い。一度治療に行くと一週間と間を空けずに次回の予約をさせて貰えるし、先生もシャキシャキ進めて下さる。どうやらどこぞの歯科大学で教鞭をとっておられるようで、物腰も落ち着いてらっしゃる。「ちょっと痛いですよ」と言われると成程確かにちょっと痛いしでもまあ、安心感あるかな。「あそこはちょっと痛いけどとっとと治してくれるのでいいよ」と評判の歯医者。虫歯が5本もあったので治療代はそれこそエフェクターが買えるくらいになってしまったのだけど、しっかりやって頂いた。で、「あーこの歯はひょっとしたら今後神経抜かないといけないかもしれませんね」って言われた歯があってそこが痛みだした。あうあうあ。

・クリエイティビティって奴について考える。
友人とクリエイティビティについて話をしていて、僕がバンド活動や表現活動について大切にとってある可能性っていうのが「自分の中から出てくる音楽」。自分で生み出して人に「これいいでしょ」って聴かせられるような、そんな自分の音楽って奴についてスラスラ出てきたら素敵だなって思うしそれを欲する気持ちも勿論あるのだけれど、でも今はそれよりも面白そうな事に力を注ぎたいしスラスラ出てこないって事は今はそうではないのでしょう、難産ならやめときましょうってシンガー、ソングライターではない僕は気楽に考えてしまう。
僕にとってのクリエイティヴ、っていうのは0からの創造性である。僕発信で僕のやっている事(朗読とか、つまりバンド以外の事ですね)っていうのは僕の28年で吸収した色々なもの、周りの面白い人達、その場のシチュエーションっていうのを熟考して再構築して、っていうものだと思っているので悲観的な意味じゃなくて現実的な話、「これはクリエイティヴではないな」と考えていたのだけれども友人曰くその再構築の過程っていうのはクリエイティビティーが発揮されるところではないのか、と。
人との会話は面白い。

・今後音楽史に於いて永久的に愛情と敬意を抱かれながらその名を呼ばれるであろうバンドの、セッションとライブの模様を収録した映画を観た。
僕はこのバンドのベーシストをシンガーソングライターとしてもベースギター・プレイヤーとしても凄い人だと思っている。この映画を観ると彼の事が嫌いになる、とこの映画を好きである知人から言われていたけれども、バンドを必死に存続させようとするその姿や彼の書いた、メンバーへの感情の顕れなんじゃないかと思われる歌詞からも僕はますます彼が好きになった。
世界最高、なんて言葉は安っぽいし価値観は相対的なものだ。だが紛れもなく世界で一番有名なベースギター・プレイヤーのトレードマークがショートスケールのヴァイオリン・ベースである事は忘れるべきではないだろう。特にショートスケールのエレクトリック・ベースギターを握る際には。

コメント