野田ロックの思い出。

10月1日(土)

懸念されていた空模様も見事に快晴、これはまるで天が「野田ロックを楽しめ!」と言っているようでワクワクしながら自転車漕いで集合場所の茜谷さん宅へ。朝の7時前にベースを背負って自転車漕ぐっていうのもなかなかない事だし、これから起こる事を考えると自然と顔がニヤケてしまう。

茜谷さん、堀さんと機材を積み込んだハイエースで会場である愛知県森林公園へ向かう。

会場に到着し、ステージ付近まで車を乗り入れる。

「舟橋、そこの階段登ってみ。感動するで」

茜谷さんに言われて駆け上がると、目の前には芝生に円形ステージ。思わず「おわー」と口に出してしまう。走り抜けた際に木と木の間に張っていた大きな蜘蛛の巣に顔面が突っ込んでしまったけれども、まあご愛敬だ。

その後はいそいそと機材を下ろし、ステージ設営。少しずつ出演者達も会場にやって来ては、そのまま作業に合流。懐かしい顔と挨拶を交わすのも嬉しいし、少しずつ出来上がっていくステージを見るのもまた楽しい。

ナチュラルハイだったのかもしれないけれども、今日はもう120%楽しもうと決めていた。

出演者で集まっての昌吾さんから挨拶があった後、開演までの間にコンビニに行ってすぐさまビールを買ってしまう。設営で汗を流していたというのもあったけれども、この素敵な一日を最初から全力疾走するためにはこれくらいの燃料は補給しておいてもいいだろう。勿論演奏に支障がないように気をつけつつも、この日人から薦められた酒は一切断らなかった。

だって野外フェスなんだぜ。全力で楽しまなきゃ。人も音楽もお酒も何もかも、まとめて全部一息に楽しんでやると決めていたのだ。

続・我が逃走
演奏中のシャビーボーイズ

そして数時間後、そこには泥酔した僕がいた。会う人会う人に「舟橋が炎上している」とか「演奏出来ないんじゃないか」とか「滅茶苦茶疲れた顔してるけど大丈夫?」と言われ、どうやら人から見ても僕は相当酔っ払っていたらしくそれってつまり相当楽しそうにしていたって事でしょう。

演奏開始2時間くらい前だったかな。昌吾さんが「舟橋君、今日演奏中に芝生の上をグルッと走ってきてよ」と発言。

「いやいや、そんな、どれだけ広いと思ってるんですかー」

「出来るって。大丈夫大丈夫」

「まあ、出来なくはないでしょうけど。怒られませんかね」

「俺、主催者だよ?大丈夫!」

「…一応皆に確認してみますね」

そして、茜谷さんに吹原君に「こうこうこうでこういう話になっている。予定調和になるのでやる、と確約は出来ないが感極まったらやり得る。大丈夫だろうか」と確認。茜谷さんは「おう、やれやれーぃ」、吹原君は「オッケーオッケー。四つ打ちで繋いでおくねー」と二人とも快諾。さあ、条件は揃ってしまった。後は俺次第だぞ。

そして演奏開始。ステージに上がって演奏を始め、ふっと前を見るとそこには沢山の人が。その後ろには芝生が続いており、遠くの方で寝そべってこちらを見ている人、その場で踊っている人、ニコニコ腕を振り上げている人等、本当に沢山のお客さんが見えた。僕のバンドマン人生で、あれだけ多くの人の前で演奏する機会って今までにあっただろうか?だってあれ、500人近く人いたんじゃないだろうか。今までもあったかもしれない、これからもあるかもしれない、けれども今日は今日しかない。もう一気に気持ちが昂ったし、感動した。

最高の一日じゃないか。

そして、チャンスがやって来た。

興奮と暑さで体力は相当消耗している。普通に演奏するのだって一生懸命だ。燃費が悪いのだから仕方がない。しかし、興奮している。走れ!

ベースを置いて、円形ステージのヘリ付近ギリギリまで歩いて行き、人を掻きわける仕草をする。ステージ前の多くのお客さん、それだけで察して下さったようで僕の目の前をまるで花道のように開けて下さる。

クラウチング・スタートの構えをした瞬間、横で茜谷さんがマイクを通して言った。

「舟橋、行け!」

その言葉がスタートのピストルのようになって、僕は芝生を、斜面を全力で駆け上った。声を張ると気合いが入る。大声で喚き散らしながら全力で芝生の上、頂点に高い部分まで走り倒れ込んだ。

…もう駄目だ。心臓は早鐘のように打っており、どれだけ呼吸をしようと息は整えられない。足はガクガクしているし頭もズキズキ痛む。芝生に倒れていると、地面と自分の体が同化したようだ。もう、走れない。

続・我が逃走
舟橋、再起動の瞬間。

その時、ステージに積み上げられたスピーカーから再び茜谷さんの声が聞こえてきた。

「誰かベース弾けませんか!笑」

これが、スイッチとなった。俺、そういえばサポートベーシストじゃん!駄目じゃん!俺が弾かずして誰が弾くのか。立ち上がり、下り斜面を利用して勢いづけて走り出す。

「あかねやあああああああああああ!!!!!!俺弾くよおおおおおおおおおおおおお!!!!??」

先輩を、しかもこんな楽しい日にサポートベーシストとして自分を起用して下さった先輩を呼び捨てにして本当にすいません。二度としません。そして、有難うございます。

ステージに駆け上がりながら視界の隅に映ったのは、お客さんの笑顔だった。最高じゃん。

演奏を終えて、頭の中を真っ白にしながらステージ後方に引っ込む。ここにきて睡眠不足(普段寝る時間に起きたので、やはり眠気はあった)と飲酒が僕の体を苦しめているのだ。そして、iGOはアンコールを頂いた。

ステージで楽器をチューニングしながら、恐らく僕は絶望的な表情をしていたに違いない。或いは酷く憔悴した表情をしていたのかもしれない。少なくとも、ステージ上、下手側、僕のすぐ隣のスピーカー裏で僕に頼まれて控えていてくれたブレザー君にはそう映ったのだろう。

「まだ、いける!!」

彼の言葉が聞こえてき、確かにそうだ、と思った。まだ演奏出来る。

アンコールも終わり、片付けも終わり(ごめんなさい、この間は結構へばってました)、会場を後にする時が来た。皆で楽器を持って駐車場の方へ向けてゾロゾロ歩く。soulkids 深谷陽一郎君とも久しぶりにゆっくり話せた。今度はもっとゆっくり、お互い決して強くはないけれどお酒を飲みながら話をしようね。

打ち上げは昌吾さんのご実家、大きな駐車場で。シャビーボーイズ 杉本君の車に便乗させて貰って現地に到着した僕を待っていたのは、前夜から昌吾さんとお母様が仕込まれていた大量の肉にご飯、キムチ、そして160本の缶ビール!そう、実は僕の方が彼らを待っていたのだ。お腹も空いたし、疲れも吹き飛んだ。宴だ。

肉を胃袋に叩き込みながら、色々な人と話をした。なかなか話す機会のないcinema staffmudy on the昨晩とも話が出来たし、ブレザー君とも演奏についての話をした。真面目な話から馬鹿話まで色々したなあ。

ふと見るとそんな光景を楽しそうに眺めている昌吾さんが目に入った。先輩、一日お疲れ様でした。本当に、心底エンターティナーですね。

帰りは茜谷さんと共にシャビーボーイズ 一郎君に送って貰う。この日は本当に色々な人に助けられた。翌日岐阜51でmudy~レコ初初日に出演する二人(この日のサポートベースは一郎君。きっと良い演奏をしただろうし、風の噂でもそうだった様子)に健闘を祈る旨を伝え、一時帰宅。

そう、この後は翌日に控えたMAD CITYに備えて明け方までパイプカツトマミヰズ練習。実に24時間近く起きている事になるわけだけれども、こんなもの屁でもない。それよりも翌日MAD CITYで不十分な演奏をする事の方が余程、辛い。

MAD CITYで、僕を待っているのは名古屋一の武闘派軽音サークル(と思っている)、名城大学世界民族音楽研究会…!

そして戦場は、新栄へ…。

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