革命は、突然に起きて全てを覆す。
ベースギター奏者としてこれを認めてしまってはいけない事なのかもしれないが、基本的に前ノリである。基本バスドラムスネアドラムより前にベースのアタックがくる。更には放っておかれるとどんどんハシッていくのだよ僕という男は。
自分と同じタイミングで同じだけハシるドラマーと組めば、それはハシッているのではなく事実上『加速』している事になる。或いはドラマーが無意識にしろ意識的にしろ、ベースに合わせているとこれもまた『加速』となる。僕の人生において最も長くリズムセクションを共にしてきた神田佑介はまさしくこのケースで、各セクション毎に『加速』や『減速』を繰り返している。微調整が意識せずとも出来るという観点では互いに重宝しているはずだ。5年近く一緒に演奏してくるとストレスが全くない。
JONNYのドラマー野々垣貴彦は基本リズムに忠実である。ライブという現場に於いて興奮すると話は別だが、彼の中では恐らく一定のリズムをキープしようという意識が根底にある。
「ライブに於ける『加速』や『減速』は気持ちがノッていれば問題はない」という柔軟性を持ち合わせているものの、練習に於いてはクリックを導入したりとリズムキープに意識を置いている。
クリック練習を全くしない(かといってリズムキープが全く出来ないわけではないのだが)神田佑介とは発想が別である。
どちらも実に優れたドラマーで、演奏を共にすると興奮させられるしストレスはないのだが、このリズムの概念というのは彼らの表現に対する思想の違いを示唆していて興味深いし、ドラマーという演奏者の立場上、それぞれのバンドのキャラクターを決定付けていて面白い。
瞬発力と腕っぷしの神田佑介に、鍛錬と拘りの人野々垣貴彦。
それに組する僕はといえばハシリ屋である。
クリック練習を日夜繰り返すベースギター奏者諸兄は決して少なくないと推測する。しかしてかくいう僕はそういった鍛錬を全くしない。スネアやキックにベースがあっていれば、極端な話一拍の長さ、感じ方さえブレなければ前ノリのまま曲を演奏しきる事になり、それは問題ではないと考えてきた。
しかし革命は起きた。起きてしまった。
リズム感というのは共に演奏する人間との共通意識であると同時に、信頼するに足りるかどうかを顕在化する指標なのである。
リズム感が養われた人間、指定されたBPMにある程度自信を持って対処でき得る演奏者は様々な局面に対応する事が可能となるだろう。
如何にリズム感を養ってきたか、そしてそれが根付いているか。それはそのまま演奏者としてのステータスたり得るのだ。例えば単純にハシる傾向にある人間はお呼びでない瞬間もあるだろう。律儀にリズムを打つ事が出来た上で前後を柔軟に操れる演奏者はすなわち、その分活躍する場が増える可能性があるという事に他ならない。
今夜はJONNYのスタジオでクリック練習を挙行した。自分が如何にハシる傾向にあるか、またそれが顕著であるかを認識したその瞬間、革命は起きたのであった。
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