2024年を迎えた。
喪中なので「明けましておめでとう」は言えないけれども、2024年も僕に関わって頂ける皆様、どうぞ僕を宜しくお願い致します。
さて、大晦日の23時過ぎまで頑張って起きていたものの、結局寝たまま年を跨いでしまった。
起きた頃には2024年1月1日の午前8時過ぎ。
起床すると義母がお雑煮を作って下さった。つくづく、お雑煮は人様の作ったものを食べるのが楽しい料理だと思う。地域や世帯毎にそれぞれのお雑煮の形があり、今まで同じものを食べた事がほとんどない。毎回新鮮な驚きと喜びを感じられる料理がお雑煮だ。
我が実家では具材は餅と小松菜のみと非常にシンプルな形。けれども他ではあまり見かけないのが鰹節を結構どっさりと入れるという点。それぞれのお椀に分けてから任意で振りかけて食するのだが、鰹節の風味が出て大変良い。
毎年そんなお雑煮を食べていたので当たり前だと思っていたのだが、他世帯のお雑煮を食べて同じようにしているのは今のところ遭遇していない。
義母のお雑煮は小松菜に加えて刻んだ蒲鉾が入っており、食感が楽しく味も美味かった。新年早々、美味いお雑煮を食べられると良い一年になる気がする。
この日は夕方から僕の実家で新年の集まりが予定されていたので、お昼前には和具の義父の実家を出た。
そのまま直接帰ろうかと当初は思っていたのだが、先日岡崎のカフェに行った折にHARD OFF巡りをした流れで三重県の店舗に寄って帰る事に。妻もファッションセンターしまむらに寄りたいという事で寄り道しながら帰る事になった。
しまむらでは残念ながら妻が所望していた福袋は買えず。朝一番で並ばないとやはり難しいのか、しまむらの初売り。
HARD OFFはBOOK OFFと店内で一体になっている珍しい業態で(ちなみに最近知ったのだが、HARD OFFとBOOK OFFは経営会社が全く別の会社らしいのだが、経営者同士が仲良しでお互いに店名やロゴを寄せ合っている、との事)あった。
特に掘り出しものはなし。娘の絵本を購入して名古屋へ戻る。
何だかんだで夕方16時頃に実家へ到着。
甥ッ子達のお年玉を用意していない事に気が付いたので慌ててコンビニATMでお金をおろしに行ったのだが、コンビニを出たところで自分のスマートホンから聞いた事のない音がした。『地震です』と言っている。目の前を走っていた郵便局の配達の職員さん2名も道の傍らにバイクを寄せ、スマートホンを覗き込んで「なんだろうね」と話し合っている様子だった。
まもなく、地震が来た。ゴゴゴゴと音こそしなかったものの、結構大きな揺れ。揺れが一区切りつくのを見計らって、駐車場の車の中にいるであろう妻と娘の元へダッシュする。先程までうたた寝していた妻もバッチリ目を覚まし「車の中の方が安全だよ!」と招き入れてくれる。車に乗り込んで外を見やると、電線のケーブルがユラユラ揺れているのであった。
落ち着いたタイミングで実家へダッシュ、父の安否を確かめる。幸いそんなに揺れは大きくなく、家の中も父も無事で既にテレビで地震速報を見ているところであった。
令和六年能登半島地震の影響で名古屋も結構揺れたのであった。NHKニュースでは津波が来るので該当の地域の人はすぐに避難するように呼び掛けており、切迫した口調から東日本大震災の時の様子を思い起こした。
この日記を書いている今でも被災地では深刻な状況が続いている。全く何て元旦だろうか。
不安を胸にしながら、それでも元旦の集まりは開催された。皆で新年の挨拶をし、おせち料理やすき焼きや蟹を食べた。やはり、母の不在にはまだまだ慣れる事が出来そうもない。
実家から家に帰る際に、2024年の僕の初買い。
帰宅して即遊ぼうと思ったのだけれども、まさかのインストール(という表現であっているのか)とアップデートに数時間を要したので遊ぶのは翌日に持ち越し。その甲斐あってか激ハマリしています。