3月14日

起床。

首の筋肉痛に昨夜のライブを思い出す。演奏の充実感は、未だに残っている。

一定時間、予め決められた区域を停電させる事で消費電力を抑えるという「計画停電」が本日早朝より施行、当該地域の友人にメールするも、やはり不安なそうだ。

「計画停電に余震と、心が休まらず常に緊張状態」との事。一方、そんな状態にも負けずに日常生活を送っている友人もいるようで一安心。奮起する人間も、不安に苛まれる人間も、僕は等しく強いと思う。

そう、この国の人間は強い。

今日インターネットの動画投稿サイトにアップロードされていた一つの動画。

3日ぶりに救助された老人が自衛官に支えられながらも「大丈夫大丈夫」と笑顔をカメラに向け、最後は満面の笑顔で「また再建しましょう!」と力強く言うその動画に涙腺が緩んだ。戦後日本の復興期を支え、この国を復興させ、それを目の当たりにしてきた大先輩がこう仰るならば我々若人も気を強く持たねば、と思う。

名古屋では「4月末までチャリティーイベントに関してはレンタル代等無し。無償で場所を提供する」というライブハウスも出てきたし、それに応えて早速チャリティーイベントを企画されるイベンターさんも名乗りを挙げた様子。

身近な先輩方も何か出来ないか、と考えて投げ銭制度のチャリティーライブを行われるそうだ。

どんな形であれ、協力しようと考えている。

昨日から考え続けているのだけれども、チャリティーという概念の考え方、捉え方は人それぞれ。色々な人と「今何が出来るか、どうすべきか」みたいな話をしたけれどもやっぱり十人十色だったりする。

しかしそんな災害の受け取り方も(悲惨だな、という大前提は皆共通だろうので、この場合災害との関わり方が違う、と表現した方が適切だろうか)善意の表明方法もその人個人レベルで考えれば違ってくるであろう人間が、それこそ何人も集まって何かを成し、それで得たお金を被災地に送る、という行動はこれはもう純粋に素晴らしい行動だ。

僕は現状身近な人間、僕の手の届く範囲の方への援助を主軸に於いて行動しているけれども、恐らく色々な「善意」に関わり、行動をともにする事で遠方の友人、友人の友人、そのまた友人にも何がしかの援助が出来るのではないかと考えている。

日常生活も機能させ、僕なりに全力を以って生きていく。

これによって心に少なくとも一片の安らぎを得る友人が被災地に、遠方にいるとわかったので僕は「こんな時だからこそ」平常時通りの生活を送っている。

バンドの練習でスタジオにも行ったし、友人の髪の毛にバリカンを入れたりもした。

家に引き篭もってニュースばかり観ているより、エネルギーが体に満ちてくるのがわかる。

ニュースは相変わらず不穏な、不安になるには十分過ぎる程十分な情報を視聴者に与える。恐らく、それが現実なのだろう。けれども中部~関西の人間達がそれぞれの、様々な形で動き出している。

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