33歳になりました。

最近こういう内容ばっかな気もするけれども、33歳になった。

32歳は変化の年だったといえるだろう。
仕事は正社員登用が決まり、初めて実家を出、バンドにも新しく加入し、そして何より結婚をした。人生の転機を一息に迎えた気分である。有難い事に良い変化ばかりで、しかもその変化がどれも今後僕の人生に実りをもたらしてくれそうなものばかりなわけだが、一方変わらずにいてくれて良かったものもあった。家族は変わらず健康だし、友人関係も良好、誕生日を迎えてすぐに「フナハシハピバ」とシンプルではあるがお祝いのLINEをくれるようなバンドメンバーとのバンド活動も演奏の顔ぶれこそ入れ替わりはあるけれど継続している。僕がファッキンお気楽野郎なだけかもしれないけれども、そうさね、15年くらい前に思い描いていた「まともな大人」に好き勝手やりながら無理なく生きた結果辿り着いたような、そんな気分である。いやこういう書き方するととんでもないヤクザ者だな僕ぁ。
結局、私生活でも仕事でも良縁に恵まれているだけなんじゃないか、という気もするけれど。
これからは(も。より一層)一人の人間として自覚を持って、しっかりと生きていきたいと思う。
さて、変化といえば演奏フォームについて変化を含めて再考する機会があったのでその事について少し。

ベースギターを立奏する際、どの程度の高さにベースギター本体を構えるかというのは見た目もさる事ながら演奏性に大きな影響を及ぼす要因である。右手、左手のバランス感覚が顕著に変わってくるのだ。
例えばピック弾きをガンガンやるのであれば(勿論人によっては、であるが)「右手はある程度伸びていないとキツい」という観点からベースは下げ目、具体的には腰より下の位置に来る事になる。だけれどもそうなってくると左手のフィンガリングはどうしてもネックを握りこむスタイルになりがちで、左手のフィンガリングに意識を向けるとなるとベース本体は高めに構えた方がどうしたって左手の運指には負担が少なくなる。
個々のプイレイヤーはそれぞれのバランス感覚で(見た目も交えて考える奏者もいるだろう、そりゃあそうだ、人前で演奏するんだから見た目はダサいより格好良い方が良いに決まっている)楽器の高さを設定しているわけで、僕も自分の演奏スタイルにあった高さで楽器を構えていたのだが。

結婚直後の事だ。どうも左手の結婚指輪がフレットにひっかかる気がする。僕はピック弾きがメインだった時の名残でベースギターをわりかし下げ目、腰くらいの位置で構えるようになっているのだけれども、無意識のうちに出来上がっていたネックを握りこむスタイルだと左手薬指の結婚指輪が演奏上どうにも気になってしまうのだった。
こりゃあ困ったぞ、と考え込む事しばし。
けれどもまあ、これは良い機会だと思い直した。自分の演奏スタイルを見直す機会としよう、という事で楽器の高さを再考する事にした。
握りこむスタイルではなくちゃんと指を立てて運指を行うとなるとベース本体は相応の高さで構えた方が良いな、と腹の上で構えるようにしてみる。ツラツラと弾いているとその前よりも圧倒的に結婚指輪は演奏中気にならない。運指もしやすいし、この楽器と自分の体が一体になっている感覚というのは愉快なものがある。
数日間その状態で弾き込んでみる。ますます具合が良い。結婚指輪はもうほとんど気にならない存在になっていた。自分の演奏スタイルが音楽以外の要因から影響を受けて変化するのは健全でないように思えるかもしれないけれども、演奏家の人生それ自体が音を作り上げる事を考えれば、今回のそれもどのように作用するかはわかったものではない。変化は積極的にしていくべきだというのは自分の感覚の中でもしっくりくる方向性である。人生の転機と、演奏スタイルの変化が良い具合に結実している気がして妙に嬉しかった。

数日後、試しに元の高さ=低めの状態で弾いてみて愕然とした。

   違   和   感   な   ん   て   も   う   全   然   な   い   。

嗚呼、何て事だ。結局慣れだったんだ...指輪をつけた状態での演奏に慣れる事が大切で、楽器の構える高さなんていうのは少なくとも一番大きな要因ではなかったようである。指をある程度立てて演奏する事に慣れた、というかそれが普通になりつつある今、今までのスタイルから変える事なく変化を迎えようとしている。
うん、まあ、折角の機会だったのに結局それかよ、という思いはある。でもスタジオで高めで弾いたら何だかしっくりこなくて結局元に戻してしまったくらいなのだ。やっぱり時間をかけて出来上がったスタイルというものにはそれなりの説得力があるようである。少なくとも当事者には、と注釈をつけねばならないが。

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