美食家、というわけではないのだが旨い食事を供する店については可能な限り知っておきたいと思う。
食事、それは日々の生活にとってなくてはならないものであり、最早栄養分の摂取という本質的な役割を超越した娯楽という側面すら有している、いわば一つの文化だろう。
ただただ食らえば良いはずの食事に様式があり作法があり、そして様々な食材や料理がある。そして旨い飯や名店の情報はインターネット上に溢れている。その情報を元に未知なる味を求めて奔走するわけなのだが、こう書くと傲慢なグルメ、味に五月蝿い美食家のようであるが僕という人間の実体はそんなに大したものでもない。
学生諸兄が食に向き合う際に考える事すなわち「安くて旨くて量が多い」。これが僕にとっての嗜好である。
ともかく、いくら舌が喜ぼうと日常的に口にできない価格帯の料理は「食事」たり得ないと感じている。
名古屋に限らずラーメン屋はそれこそ無数とある。様々な東海地方のラーメン食いの方々が様々なラーメン屋の様々なラーメンを食べ歩き、感想をまとめられた様々なブログは参考となる。そこに出入りしていなかったら知り得なかった店もあるだろう。だが彼らがこぞって絶賛する某店は、どうにも良さが理解できない。舌が馬鹿なわけではないはずだから(そう信じたい)恐らくグッとくるポイントが違うのだろう。
自分の好んで口にするラーメンの傾向を鑑みるに、個性の強いラーメン、よく言えば男気溢れる豪快なラーメンを好んで食べている事に気がついた。もとより出汁がどうのだとか調味料がどうの等気にもしないし、意識すらしない人間なので単純に一杯に求めているのがわかりやすいインパクトなのだろう。
なるほど、それならば理解できなくもない。ブロガー氏達が絶賛する店は繊細で、計算された、誠意と創意工夫に富んだ一杯であったのだ。だが僕はそれよりも野菜と麺の暴力のような、昆布だしに醤油を溶かしただけのような深夜営業の某店の味のインパクトに惹かれたのだ。
食事、よりかは飯、を好む人間なのかもしれない。最も、何かを食べるという行為自体が好きなので何を食べても喜びは感じるのだけれど。
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