廃墟探訪同好会(兼心霊スポット探索会)の活動を突発的に行った。無性に非日常を体験したくなる、そんな夜があるのだ。自主企画、長野県での夏合宿の疲れも癒えてきた昨晩、それは突然やってきた。
今回は入鹿池近辺の天狗神社という所に行ってみた。
この天狗神社、ネットで情報を浚えば穏やかではない情報が沢山出てくる。
「神社で生活する信者に追いかけられた」
「天狗に連れ去られた」
「神隠しにあった」
「ここへ行って帰宅途中、事故にあった」
等々。
まあ、そういう場所にありがちの噂話だろうと思っていたし、入念な下調べの成果で、実際は新興宗教の神社であるという事がわかっていたので心霊現象の類にはあわないだろう、と判断。噛み砕いて言えばタカを括っていたのだった。
ネットで場所に関する情報を探す。
入鹿池の北東、赤い橋を渡った付近の自然遊歩道を見つければおkという事でまずはそれをひたすら探す。探す。探す。
…あった。
真っ暗やがな。
遊歩道の中は街頭など無論存在せず、ただただどこまでも続くかと思われる闇だけが広がっている。山にわけいって入っていく形になるその遊歩道、両脇から何か飛び出してこないかという恐怖に襲われる。
水が流れる音と虫の鳴き声だけが響く中、砂利を踏みしめてただ登る。想像してみて頂きたい、深夜の山道を携帯の明かりだけを頼りに登っていく様を。
その心細さ、不安さたるや想像の範疇外であった。
恐ろしい。
左右に迫る草木を眺めながら、何故こんな事をしているのかと根本的な疑問を抱いてしまう。
日常に慣れきってしまったが故に憧れを抱く非日常。だがそれとても安全圏で生活する人間の慢心なのではないか。僕達のような人間は安全圏からそれを眺めるだけにしておくべきで、身をもって体感しよう、それに突入しようと考えるのは不相応な事なのではないか。
不安から、そんな弱音を吐きそうになる。
と、施設っぽいものを尻目に立ち止まる。
周りに静かにするよう促す。5人の中に緊張した空気が漂う。耳をすます。
…足音だ。
誰かが、山道を下りてくる。この場合恐ろしいのは心霊現象よりも新興宗教の信者だ。
迷わず引き返す。走り出したくなるのをこらえて下山する。携帯電話のライトの明かりで足元を照らし、無言で黙々と下る。時折背後を確認する。自分達の領域に踏み込まれら信者の怒声も聞こえなければ、明かりも見えない。ましてや木々の間をぬって飛んでくる天狗も当たり前だが、いない。
それでもどこまでもどこまでも続く暗闇が無性に恐ろしい。あぜ道を登っている時から感じていた違和感の正体にふと気づく。行く手が全く見えない暗闇、両脇に迫る森林、背後から追ってくるような錯覚を与える暗闇。そこから感じる恐怖心から、どこかすぐ近くで誰かが息を潜めてこちらの様子を伺っているような幻想を抱いてしまっていたのだ。
幽霊の正体見たり、枯れ尾花。
だが、今は確かに聞こえた足音から逃げるのが先だ。人間の方が余程恐ろしい。
車が見えた。一息つくと背後にいたサカモト君が「早く車に乗れ」と切羽詰まった口調で言う。
只ならぬ様子に慌てて車に乗り込み何事か問う。後輩達が緊迫した口調で言う。
明かりが見えた、振り返ると人が明かりが見えた、それも、手で覆い隠したような小さな明かりが。木ではない、白い服を着た人影が立っていた。
・・・引き返して正解だったのだ。
走り出した車から背後の山道を振り返る。信者ではなかったのかもしれない。我々と同じくちょっとした肝試しをしにきた同好の士だったのかもしれない。
だが、人間の方が恐ろしい。
今夜の所は引き返す他なかった。
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